相川圭子「ヒマラヤ聖者のマインドフルネス」より。
「気」を使うのはなく「愛」を使う
相手に「気」を使うのはなく「愛」を使いましょう。それが正しい姿です。
ここでいう「気」とは「心」のこと。ですから、心を使うと、無意識のうちに相手に気に入られようとか、嫌われないようにしようというエゴが働きます。
エゴでする行為は善行にはなりません。なぜなら、相手を気づかっているふりをして、本当は自分の得になるためにしているからです。それは相手への思いやりでなく、自分の価値観によるものであり、相手の気持ちを無視した押しつけになることもあります
欲の心に基づいて行ったり、タイミングや本当にやるべきことを誤ったりすると、かえって相手をダメにしてしまうこともあります。それは相手からすると「余計なお世話」4になります。
さらに、常に気を使うと、文字通りエネルギーを消費します。気がせわしい人になったり、自分が疲れるのです。
また無意識に相手からの感謝や見返りを期待することもあるかもしれません。たとえば、道を譲ってあげたのにお礼も言われず、当たり前のようにふるまわれたら、少し腹が立つかもしれません。
「せっかく、いいことをしてあげたのに」と損をした気になるかもしれないのです。エネルギーを消費するうえに、否定的な気持ちを抱くことで悪いカルマまで積んでしまいます。
では「愛を使う」というのはどういうことなのでしょうか。見返りを期待せず、その人の幸せを祈って行う。それが「愛を使う」ということです。自分のことは何も考えません。ただ、相手の幸せを祈ります。だから、感謝されなくてもいら立つことはzりいません。
「愛を使う」は、「母性的な愛」と言い換えることもできます。たとえばお客様がいらしたとします。あなたはその人を喜ばすために特上のお茶を買ってきて出しました。その人は、本当は喉が渇いていないのに、出されたものは残せないから無理をして飲んでいるかもしれません。「愛」を使わずに押しつけがましい「気」づかいになると、相手の負担になったり、自分のエゴのための「余計なお世話」になりかねません。
また、もし木枯らしの中、外で遊んでいる子どもが帰宅したとしましょう。あなたは「子どもにいい親だと思われたい」などの気持ちを働かせることもなく、冷えた体を温めるため、ホットミルクや温かいココアを出すでしょう。
そのときに、子どもが「走り回って暑いから温かい飲み物はいらない」と言っても、きっと腹は立たないはずです。「そうか、暑いのか。風邪をひかくて良かった」と思うのではないでしょうか。
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