【プログラム】
W.A.モーツァルト
1 弦楽五重奏曲 第4番 ト短調 K.516
森岡 聡(Vn),倉冨 亮太(Vn),伊藤 彗(Vl),樹神 有紀(Vl),伊東 裕(Vc)
〜〜〜休 憩〜〜〜
2 クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581
森岡 聡(Vn),倉冨 亮太(Vn),伊藤 彗(Vl),伊東 裕(Vc),箱崎 由衣(Cl)
(アンコール)
ボッケリーニ: 6つの弦楽五重奏曲 op.11の第5番より「メヌエット」
2017年3月8日(水)19:00〜,真駒内六花亭ホール
若手演奏家たちによるモーツァルトの弦楽五重奏曲第4番とクラリネット五重奏曲を聴いてきた。この演奏会のプログラムを眺めていて,モーツァルト晩年の傑作を無性に聴きたくなった。まるで,メイン・ディッシュが2皿出される豪華なコース料理のよう。
この日の出演者はいずれも30歳前後の演奏家で,カルテットやオーケストラのメンバーであり,海外で研鑽を積んでいる者もいる。彼らのうち誰一人として,世界の第一線でソリストとして目覚ましい活躍をしたり,世界有数の演奏団体でキャリアを積むことは,おそらくないだろう。だが,国内で演奏活動を続け,この国の音楽界の将来を担う人材であることは間違いない。
やはり作品の質的な高さに助けられた面は大きいと感じた。ただ,傑作の影に隠れているが,彼らの新鮮な感性と確かな技量で傑作2曲のポテンシャルを引き出すことに成功した側面も見逃せない。もちろん,演奏家としてのキャリアが短いがための限界もあったが。
彼らの演奏の魅力は従来の固定観念にとらわれることなく,自分たちの感性を全面的に信頼してフレッシュな感覚でモーツァルトを描き切ったことだろう。この作曲家の晩年にまつわる伝説はいったん脇に置いて,楽譜だけに向き合いながら自分たちのモーツァルトを作り上げる。そこには,当然,彼らの音楽観やモーツァルト観が反映されているだろう。
無色透明なクリスタルで作ったような演奏とでもいえば少しは伝わるだろうか。モーツァルトの作品を純粋無垢かつ天真爛漫な音楽として捉えている。それを彼らの清潔感あふれる技巧で表現する。この世代の演奏家たちのテクニックの確かさは予想以上といえる。さらに,演奏技術の点でも表現様式の点でも,世界の大きな潮流に棹さしていることも想像以上だった。この世代が全国各地のオーケストラの中核として活躍する頃には,どのオケも飛躍的に上手くなっているような気がする。
モーツァルトの後期に特有の陰影の濃やかさが加われば申し分なかった。誇張を交えて表現すれば,この日のモーツァルトは,壁や床それに天井全ての面が白系統の色で統一された部屋が眩いLEDの光で満たされた光景を彷彿とさせる。もちろん,2曲の五重奏曲は十分に彫琢されているものの,室内を照らす強い光で陰影はおろか立体感さえつかめない。モーツァルト晩年の作品ということをことさら強調するつもりはないが,影を用いて立体感を自然に表現する工夫があってもいいように思う。晩秋の夜に,ろうそくの光に浮かび上がる古い館の一室で演奏するような風情を出すのはまだ先の話だとしても。
弦楽五重奏曲第4番の第2楽章くらいまでは,アンサンブルがもう一つしっくりしない。だが,メカニカルな面で齟齬をきたしているわけではない。恒常的に活動しているメンバーではないので止むを得ないのだろうかと思っていると,第3楽章アダージョの途中から5人の息がピッタリと合ってきた。どうやら,お互いの気持ちが通いあうまでにやや時間を要したようにみえる。技術的な側面ばかりでなく,演奏者が情緒面でも互いに気脈を通じて初めて,アンサンブルがしっくりすることがわかったのは収穫である。それ以降は,水を得た魚のように,自在な演奏を繰り広げる。特に,第4楽章は短調のモーツァルトの持ち味を十二分に表現していた。
クラリネット五重奏曲も,陰影というか独特の深みがあれば申し分のない演奏だった。とりわけ,クラリネットが陰影に富んだ深い響きであればと惜しまれる。技巧的には非の打ち所がない,ある意味,完璧といってもいいような演奏なのだが,屈託がないのでどうしても底の浅い演奏にきこえてしまう。弦楽器の4人も含めて,モーツァルトのクラリネット五重奏曲にしては元気が良すぎると言った方がより正確かもしれない。もちろん,こういうアプローチがあってもいいのだろうが,個人的に持っているイメージとは微妙に違うところがある。
ただ,この作品を元気かつ屈託なく演奏しても,それなりに感銘を与え得るというのは興味深い発見だった。それだけ多様なアプローチを許容しうる作品だということだろう。さらに,情緒的な思い入れはなくとも,音の構造体としてのみ捉えたとしても,この作品はかなり面白い作品であるということを発見した。傑作の傑作たる所以といえる。
何と言っても,この日の主役はモーツァルトの傑作だと言い切って差し支えないだろう。6人の若者が自由にアプローチしても演奏会が成立するだけの懐の深さをこれらの2曲は備えている。そして,因習にとらわれることなく自分たちのやり方でこれらの作品に取り組んだ出演者たちの潔さと爽やかさを称賛していいように思う。
とはいえ,最も称賛すべきはこの演奏会の主催者である六花亭ではないだろうか。帯広市が創業の地である六花亭は美術や音楽のフィランソロピーに力を入れている。札幌市では主に中堅演奏家のコンサートをふきのとうホールで,そして若手演奏家による室内楽の演奏会を真駒内六花亭ホールで主催している。真駒内では市民に手頃な料金で音楽に親しむ機会を提供するとともに,若手の音楽家に室内楽を披露する機会を与えることで,地域社会に音楽を定着させる努力を続けており,まさに一石三鳥の妙案だ。
事実,この日も100席余りの会場はほぼ満席の状態で,六花亭の継続的な取り組みが着実に根付いていることを窺わせる。地域社会に浸透した証といえそうだ。
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