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2017年01月14日16:11

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チョ・ソンジン ピアノ・リサイタル

【プログラム】
ベルク: ピアノ・ソナタ ロ短調 op.1
シューベルト: ピアノ・ソナタ 第19番 ハ短調 D958
   〜〜〜〜〜 休 憩 〜〜〜〜〜
ショパン: 24の前奏曲 op.28

(アンコール)
ドビュッシー: 「ベルガマスク組曲」より第3曲”月の光”
ブラームス: 「ハンガリー舞曲集」より第1番

チョ・ソンジン(ピアノ)

2017年1月9日(月・祝),13:30開演,札幌コンサートホールKitara


言うまでもなくチョ・ソンジンは,2015年ショパン国際ピアノ・コンクールの優勝者。ショパン・コンクール優勝者の演奏に興味はあったが,それがこのリサイタルに行った決め手ではない。このプログラムに魅力を感じたためである。ベルクのピアノ・ソナタ,シューベルトのピアノ・ソナタ第19番,そしてショパンの24の前奏曲。かなり重量級のプログラムで,さすがショパン・コンクールで優勝しただけのことはあると思ったものだ。

ところで,リサイタルの前日になって,痛恨のミスを犯していたことに気付いた。シューベルトのピアノ・ソナタ第19番を第18番と思い込んでいたのである。分かった時には手遅れで,この曲については全く知らない状態で演奏会に臨まざるを得なかった。当然,聴いていてもあまり面白くはない。

最近のショパン・コンクールの優勝者も随分と小粒になったもんだというのが,このリサイタルを聴いた全般的な印象である。近頃はショパン・コンクールにせよチャイコフスキー・コンクールにせよ,実力者は参加を控える傾向にあるという話をどこかで読んだことがある。たとえ5年に1回だとしても,ポリーニやアルゲリッチのようなピアニストを発掘できるとは限らない。それ以上に,世界超一流のコンクールといえども,そこでの優勝がピアニストのキャリアにとって必ずしも有利に働くとは限らないのだろう。本当の実力派はコンクールで優勝して箔をつけることに頼らず,演奏会で地道にキャリアを積んでいるのだろう。

小粒になったという印象をもう少し具体的にいうと,チョ・ソンジンのピアノ演奏は,絵画に例えれば,油絵の傑作を墨で精緻になぞった複製のようだという意味である。ベルク,シューベルト,ショパンが描いた油絵を墨と筆で緻密かつ精巧に模写したような演奏といえる。模写のテクニックは唖然とするほど上手いが,原画の持つ情念がきれいさっぱり洗い落とされているように感じたのである。超高解像度のコピー機で複製したモノクロームの画像といった風情だと言い換えてもいい。

ベルクが20代の前半に書いたソナタも,漆黒の宇宙を背景に星座が明滅する様子を思い起こさせるというより,薄い墨で描かれた奥行きのない精緻な複製のようにしかきこえない。新ウィーン楽派の一人が新たに切り拓いた異空間,そしてそこを旅する人類の内面とは隔絶した世界がチョ・ソンジンの演奏から立ち上ってくる。水墨画風の東洋的な人間臭い世界のようなものが現れる。彼が何を表現したかったのかは定かではないが,水墨画の世界を表現したかったというなら,それは一つの解釈だと思う。ベルクの作品に何を見るのかは,人それぞれなのだから。技術的な側面に限れば,実に巧い完全無欠な演奏といえる。おそらくタッチが浅いという問題は,このピアニストが意図的に選んだ結果なのだろう。

シューベルトのピアノ・ソナタに関しては,準備不足のためほとんど書くことがない。とはいえ,ベルクの演奏に関していえることは,ほぼそのままシューベルトについても当てはまると思う。シューベルト特有のメロディーとハーモニーは,やはり似て非なるものと言わざるを得ないだろう。楽曲を知らなくても,シューベルトの息の長い甘美な旋律があまり歌っていなかったことは確かである。また,この作曲家の濃厚な和声も淡白になっていたことも事実だ。ベルク同様,精確きわなりないシューベルトであっても,そのエッセンスが失われてしまった演奏になっていたように感じる。

プログラム後半で取り上げた「24の前奏曲」は,ベルクやシューベルトとは多少違っていた。ショパン・コンクールで優勝しただけあって,ショパンの演奏には自信が感じられる。決して十分とはいえないまでも,リサイタル前半と比べてダイナミズムもより鮮明になる。曲の最終盤,「第20番ハ短調」のあたりからタッチに力が入り,響きにも若干深みが増す。初めは抑え気味にして,終盤に向かうに従い徐々にクレッシェンドして行き,最後にクライマックスに達するという構想どうりの演奏なのだろう。

リサイタルの盛り上げ方としてこのアイディアはわからないでもないが,この曲集自体がそのような書き方がされているのか疑問の余地がない訳でもない。さらに,序盤から中盤にかけての曲を全て抑制気味に弾くということにも違和感を感じる。「24の前奏曲」は24曲のプレリュードそれぞれの性格に応じて強弱を引き分ける種類の作品なのではないのか。曲集全体を通じて機械的にクレッシェンドさせるというのはどうなのだろう。

また,チョ・ソンジンだけに限らないのだが,ピアノを大きな音で鳴らすことと,深みのある音で弾くことを峻別する必要があるだろう。もちろん,多くのピアニストは深い響きで弾くことに苦心していると思うのだが。

やや掛け声倒れに終わった感のあるリサイタルだった。プログラムからはもう少し本格的な演奏を期待したのだが,ピアニストの解釈,いや音楽性もあり予想とは異なる演奏会であった。とはいえ,彼が目指しているある種東洋的なピアニズムをより徹底的に追求するするのも面白いだろうとは思う。今回のリサイタルでは彼の方向性に説得力が足りなかったことと,プログラムの前半と後半とで一貫性に欠けていたことが問題として指摘できる。

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