二つ目のワードが 「霜」 と発表される。
前回 「神」 だったので、 「霜月神楽」 (しもつきかぐら) が正解だろう。
11月、自然の力が 「衰える」 ように感じられるのは、日本に住んでいればさほど不自然だとは思わない。
農作物が多く採れるのが 「秋」 であり、各地で収穫祭が行われる。
そうして、その後 寒気が入り込み、雪まで降る寒さとなれば、春まで多くの収穫は望めない。
勿論、これから収穫を迎える、大根・白菜などの野菜や、りんご・みかんなどの果物もあるので、一概に負の側面ばかりがあるのではないが、それでも、大きな行事である 「米」 が終わった季節感はある。
そうして、そうした季節に、日本古来の神道では、お祭りが工夫された。
これが、「霜月神楽」 である。
私は、神道の信者というわけでは無いが、日本に住んでいると無理やり神社の氏子になったりする。 神道を崇拝するのが当たり前、と言わんばかりの文化だ。
どの宗教に対しても、それなりに畏敬の念をもって接するのが、節度のある対応だとは思うが、そうでもない宗教があるのも事実。 難しい所である。
とはいえ、神社だから、自分たちが設定した 「税金」 を取り立ててよい。 というのは、やや都合の良い文化だとは感じる。 NHK と同じレベルだと割り切るしかないのか?
「神棚持っていません」
「大丈夫です、このお札を壁に貼っておいてください」
宗教は色々あって良いし、何を信じるかは個々それぞれの心にゆだねられているものだが、
自分が信ずる宗教以外は、他者が信じることも認めない、というスタンスの人はいる。
「ほっといてくれ!」
多くの人はそう思うだろうが、
特定の宗教に、犯罪者がいる。 と信じて疑わない人がいるのは困ったもの。
(宗教と犯罪は基本的に関係ない。 オーム真理教だって、確かに大規模テロを起こした犯罪集団ではあったが、個々の信者の中にはただ信じる心だけだった者も多くいただろう。)
割と困るのが、信じることで (神からの) 助けがあった、だから
「あなたも信じなさい」
と、押し付けてくる人。
(エホバの証人とか、そう思えてならないのだが、、、、、、)
ちなみに、前世紀、エホバの証人は、1999年に人類は滅びて、その後生き残るのは信徒のみ。というような話だったが、あれはどうした? と、聞いてみたこともある。
都合の良い話を持ち出してきてごまかすので、相手をするだけ時間の無駄。
もうちょっとストイックな考えを持って来れば、
「宗教とは、お金を集めるシステムである。」
とか、言うと、めっちゃ反論がありそうだが、現実的にはほとんど正しい。
お金を一切集めない宗教があるなら、少しは付き合ってみたいものだと思う。
(信徒を無償の労働者として使う場合はお金を集めているのではないが、同じことである。
そういう意味なら、共産党とか赤旗新聞は宗教なのか? みたいな突っ込みも出来るかも知れない。 が、宗教には欠くことのできないものが 「神」 ではなかろうか?)
ついでに、仏教って、「死んだら、すべての人は仏になる。」 みたいな言い方があって、
「神」 って、出てこないよね。
という話はあるが、、、、、、、
宗教的にはそれでは不都合なので、後々に作られた神は大勢いる。
そして、日本では古来あった自然発生的な宗教である 「神道」 と 「仏教」 はごちゃ混ぜになり、その境目すら現代では曖昧。
弁天さん、などは、仏教なのか神道なのかわからなくなっている。
いつごろからか、「寺社奉行」 という役人に統括されるようになっているからだが、
これは神社であっても、寺であっても、それぞれが非課税の 「荘園」 を運用するようになっていたので、法人格の貴族のような扱いであるのが、日本の社会である。
勿論、神社であれ、寺であれ、「人助け」 をしているのは事実であって、
一概に 「迷惑なもの」 ではなく、困ったときに助けてくれる便利な組織、ではある。
(が、役所のように 「生活保護」 として現金をふるまってくれたりはしない。)
身近なものは、何かを決めかねているとき、神社でおみくじを引く。 とか
方角が書いてあったりするので、そのようにしてみる。
(書いてあることが気に入らなければ、もう一回引くことはできる。そして、自分が納得するまで何回でもおみくじを引ける、とはまあ優柔不断であるが、結局は個々人の責任において行動する、というきっかけを与えてくれる。)
寺は?
お腹空いて困っていると、少しぐらいは(粗末なものだけど)食事を提供してくれたり、、、、
それって、無料なの?
京都のお寺などでは、レストランより高かったりします。
お寺の中に入るだけで 「有料」 のところもあるからね。
死んだら仏になる。 ということを教えるだけなのに、どんだけお金を取るのか?
と疑問視さえしてしまうが、
先にも書いたように、お寺は貴族だから。
さて、引用の記事
報道内容を見ていれば大方、
認知症で、自分の家に帰る事すら困難だった。
ということはわかる。
だからと言って、失われた子どもの命の重大性を無視はできない。
刑事的にはほとんど罪をかぶせることはできないだろうが、
� 〆8紂⊆�動車の運転はできないようにすべき。
�◆」况砲靴堂燭�やらかすと困るので、家族なり誰かが、そうならないように身元を引き受ける必要がある。
� ,亡悗靴討蓮¬筏�証を失効させるだけでは不十分だろう。
失効している事実さえ忘れてしまい、また車を運転する可能性はある。
決して、車の運転席に座らしてはいけない。
87歳の認知症の老人を、仮に刑務所に入れて懲役刑をかしても、誰のためにもならないだろう。刑務所で懲役をさせているのは、一番に 「本人のため」 である。これは何時かは社会復帰して、悪いことをせず、憲法で定められている勤労の義務や納税の義務を果たすことで、少しでも社会への還元も考慮されている。 もちろん、犯罪に走らずとも、暮らしていける経済力も重視される。
交通事故は、悪いことをしよう、と思って起こすわけでもないのだが、
そもそも自動車の運転は、「人を死に至らしめる可能性がある。」 と先に宣言されていて免許を取るのであるから、
「人が死んだ場合」 それ相応の刑事罰を受けるのは当然であろう。
いやなら、免許なんか取る必要はない。
タクシー使えばよいのだから。
ごみを捨てるのに、自動車が必要だった。
とか、言う必要もない。
業者に頼めば捨ててくれる。
電話して、あとは相応の料金を払うだけ。
彼が、一体何のために、一晩中車を走らせて、最後は子どもをひき殺してしまったのかはわからない。 たぶん、本人にもわからないだろう。 罰を与える意義さえ薄れている。
不幸な事故だとは思うが、身体能力や思考力が衰え始めたら、
改めて、「交通安全教育」 をすべきではないか? と思う。
免許更新を、1時間程度の講習で終わらせるのではなく、
午前中に座学、午後は実技で、きちんと指導する。
そして、免許の更新が、「これほど大変なのか」 と思わせた方が良い。
そこまでして、車を運転したい、と意欲のある人にだけ、免許の更新をすれば、
運転をあきらめる人は増えるだろう。
必要な時は、タクシー呼んでください。
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小1死亡 87歳容疑者を鑑定留置
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4287773
横浜市港南区で軽トラックが集団登校中の児童の列に突っ込み8人が死傷した事故で、横浜地検が自動車運転処罰法違反(過失致死傷)容疑で逮捕された合田政市容疑者(87)の鑑定留置を横浜地裁に請求し、認められたことが捜査関係者への取材で分かった。期間は約3カ月で、認知症かどうかを含め事故当時の精神状態などを調べる。
捜査関係者によると、合田容疑者は6日に実施された神奈川県警の実況見分で「子どもたちにどうやってぶつかったか覚えていない」などと説明した。合田容疑者は事故前日の朝に横浜市磯子区の自宅を出て県内外を走行し、夜間も自宅に戻らず、長時間運転をしていたとみられる。移動経路については「よく覚えていない」と供述しているという。
合田容疑者は2013年11月に認知症の検査を受けたが、異常がなく同12月に免許を更新。有効期限は3年間で更新時期が迫っていた。
事故は10月28日午前8時ごろに発生。合田容疑者の軽トラックが停車中の軽乗用車に衝突し、横転しながら児童の列に突っ込み、小学1年の田代優さん(6)が死亡した。現場には急ハンドルを切ったタイヤ痕が残っていたがブレーキ痕はなく、減速せずに事故を起こしたとみられる。【木下翔太郎】
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