> 都心部の「大雪警報」をより早く出すため、気象庁は今冬から発表基準を見直す。
「より早く」だよね?
で、本文を読むと、
> 「向こう24時間で深さ20センチ」の降雪が予想される場合に警報を発表してきたが、「12時間で深さ10センチ」に早める。
20センチ⇒10センチ によって、より程度の低いものについても幅広く警戒情報を出せるようになる(射程範囲が広がる)ことは理解できる。勿論その分、「空振り」の確率は上がってしまうけれど。
天気予報の世界にも「三振」があり、そしてそこにおいて「見逃し」は「空振り」よりよくない、より批判が強いという話をきいたことがある。
たしかに、「おそれがあるから気をつけてね」で大丈夫だったというのと、いきなり大雪や嵐で「聞いてないよ!」というのでは、天気予報というものの担う(べき)役割の面からは「空振り」は許せても「見逃し」はダメだろ! ということになる理屈はよくわかる。
ただし、あまり繰り返されると「オオカミ少年」になってしまうという問題点は別の話としてあるけど。
で、さて。
「20センチ⇒10センチ(の基準見直し)」は良いとして、もう一つの側面、「向こう24時間⇒12時間」の見直しだが、これによって「より早く」になるのだろうか?(少なくとも論理的に)
10センチだろうが20センチだろうが、「24時間範囲の未来」を見据えた見通しをもとに発信していた警戒情報を、「12時間」以内を見る(換言すれば、13時間後から24時間後までの見通しについては、今までは情報のもとにしたが、これからは無視する、もしくは警戒情報に反映させない)というふうに変更することが、どうして「より早く」発信できることになるのか、わからない。
こういうことを言うとすぐ、「屁理屈」だと脊髄反射的に反論する人があるのだけれど、本件に限らずそもそも「細かい」論理について「屁理屈」と類型的に反論批判するその構造自体が気に入らない。
「屁理屈」とは、その理屈が通っていない、論理的でない、破綻しているような場合を指す言葉であって、そもそも「細かすぎる」ことは(別の理由で批判の対象になることはあり得るけれど)「屁理屈」である理由にならない。
私は少なくともこの記事を読んで、「えっ? なぜ24時間を12時間にすると『早めに』情報が出せるの?」と思ったのだし、それを「屁理屈」だとは思わない。
おっと、いつも気になっているので「屁理屈論」に脱線してしまいました。
■都心の大雪警報、より早く 「12時間で10センチ」に
(朝日新聞デジタル - 11月05日 11:50)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4277770
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