太初(はじめ)に言(ことば)ありき。言は神なりき。この言は太初に神と偕(とも)に在(あ)り、萬(よろづ)の物これに由(よ)りて成(な)り、成りたる物に一つとして之(これ)によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき。光は暗黒(くらき)に照る、而して暗黒は之を悟らざりき。(ヨハネ伝第1章1-5)
これが「ヨハネ伝福音書」の最初にある言葉です。
この「ヨハネ伝福音書」は四福音書(マタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝)の中で、最も霊的な最も実相をよく描いた福音書です。
ここで「言は神なりき」についてです。
日本の国は、言霊の幸(さきは)う国と古くから言われていて、言葉の力を称(たた)える国でした。。それで日本では言葉というものを大切に取り扱い、かりそめにも悪い言葉は吐かないようにしていました。そして、もし悪い言葉で宇宙をかき乱したら善(よ)き言葉を祝詞(のりと)によって宣(の)べることにより、天地を清めるということにしていたのです。
祝詞というのは、「祝福の詞(ことば)」ということであって、悪しきものがあらわれても、そんなものはない「ありがたいものばかりだ」と善き言葉で祝福の詞を述べることによって、天地の穢れを祓い清めることをやっていたのです。
「言は神である」というその言葉というのは、生命のバイブレーション(振動)であります。
「太初に言(ことば)あり」というのは、一切のものは波動が最始原のものであるということです。「いやしくも、波動のあるところに神がある」というのが、「この言は太初に神と偕にあり」ということです。「偕(とも)にある」というのは「別のもの」が並んでいるのかというと、そうではない。「言(ことば)は神なりき」であって言と神とは同じものだということです。
この「言(こと)」というのは英語でゴド(God)と濁っていますが、神様のことです。言葉が神様である、一切のものは言葉によって造られているというのです。「言は神様である」というのは、吾々は古代から神様のことを「命(みこと)」と言います。美(み)は美称(ほめことば)です。神様とはミコトバ様だということなのです。漢字に当てはめても「ミコト」という字は命令の「命」が書いてある。命令は口でする。即ち漢字でも言(ことば)は神様である。
その「命(ミコト)という字は「命(いのち)」とも読む。言(ことば)はまた命であって、「ヨハネ伝」の最初に「太初に言あり」云々と書いて「之に生命あり、この生命は人の光なりき」と書いているのと一致するのです。それで、言は神であり、生命である。旧い新約聖書には「道」という字を書いて「ことば」と振り仮名をつけています。「道」というのは天地遍満の道、即ち天地にミチミチているから「ミチ」である。
「道」は「言う」とも読む字であって、言葉である。天地にミチでいて、事物のハジメを成しているものが言(ことば)即ち、波動であり、それが一切の本源である神であって、それから万物が発生したというのです。
それで、万物は一切この言葉によって展開したのであって、この言葉が大切なのです。言葉は命であり、神様であり、命令であり、天地に満つる道であるということになるのです。
谷口雅春「ヨハネ伝講義」より。
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