電話が鳴った。
出ると、かなり高齢と思われるお婆ちゃんの声がした。
「あ、もしもし、あたしだけど。あのね、必要なものがあってね、電話したの」
声に聞き覚えはない。
話す内容にも心当たりはない。
これは間違い電話だと判断するが、そう考えている間にもお婆ちゃんは話し続けている。
えーっと、お間違えではないですか? どちらへおかけですか?
その旨を、やんわりと問いかけるが……
「あのね、ノートがなくなっちゃってね」
これは困った。会話が噛み合ってないぞ。
だがしかし、この間違い電話を無碍に切れない理由があった。
文字では伝わらないが、それはお婆ちゃんの声から感じる「表情」
ほぼ確定的に、おれを家族と勘違いしている。おそらくは息子だろう。
その息子と電話で話せる嬉しさがにじみ出ている。
さらに重要なのは、嬉しさに混じって、遠慮や申し訳なさが混じっていたことだ。
お婆ちゃんの話す内容は要領を得なかったが、声から伝わってくる表情は明瞭だった。
推察するに、お婆ちゃんは家族と別居している。たぶん一人暮らし。
この会話の噛み合わなさ……、少しボケが入っている…、施設にいるのかも知れない。
そこで必要なものを、こうして家族に頼んでいるのだろう。
息子に電話するのは嬉しいことだが、同時に、負い目のようなものも感じているに違いない。
何か説明があったわけではないが、ほとんど確信があった。
だが、どうすればいい…? やはり間違い電話であることを解ってもらうしか…
あ、あの…、どちらへおかけですか?
もう一度そう問いかけると、お婆ちゃんの声に揺らぎが顕れた。
「あ…、電話しないほうがよかったかね……」
ぐはっ(吐血) すんごくしょんほりしてる。
電話なのに見えるっ、私にも見えるっ! しょんほりした高齢のお婆ちゃんの姿が!!
ああ、いや、そうではなくてですね。慌ててよくわからないフォローをするおれ。
どうする、どうする、どうする!
間違い電話であることを伝えたのだから、世間の常識的に考えれば電話を切る場面だ。
が、そんなことをしたら、どれほどお婆ちゃんがしょんほりするか目に浮かんでしまう。
「息子に電話を切られた」 「息子に間違い電話扱いされた……」
うわぁぁぁ、ダメだ。そのルートはない。おれにそんな選択肢は選べない。
しかし、表面だけ話を合わせても、後日、齟齬が大きくなってしまう。
「約束したのに息子が来ない」 「それどころか、息子はそんな約束知らないという……」
あうあああ。進退窮まってるぅぅぅ
どうすりゃいいんだぁぁぁぁぁ。
なんてことを考えているうちにも、お婆ちゃんは話し続け、おれはなんとなく返事をしていた。
もうこうなったら、多少の齟齬はやむを得まい。おれは意を決し、息子になりすますことにした。
しばらく会話したところで、こう切り出した。
あのね、ごめんなー、今日ちょっと都合悪くてなー。明日、明日もう一度電話してくれるかー明日。
明日を何度も強調する。
明日、また電話ちょうだいな。ごめんなー、待ってるからなー明日。
そんでな、いまの話もう一回してなー。おれ忘れちゃってるといけないからな。明日もう一回なー。
そうして、(やや強引だが)なんとか事態を収めて電話を切ることが出来た。
次こそ、正しい電話番号へかけてくれることを、切実に祈った。
同時に、お婆ちゃんの家族が実在することも……。
ホントは身寄りのないお婆ちゃんで、しかし痴呆からその認識がなく、こうして「間違い電話」をしてしまう……、なんて可能性も思い浮かんだからだ。そして考えたら泣けてきた。
どうか、どうか、婆ちゃんが息子と話せますように。
息子が婆ちゃんを邪険にしませんように。
どうか、笑顔がありますように。
ログインしてコメントを確認・投稿する