北川八郎「ブッダの言葉」より。
釈尊は説いた
悪いことをなす者はこの世で悔い悩み、来世でも悔い悩み二つの所で悔いに悩む。さらに苦難の所(地獄など)に赴いて、罪の報いでさらに悩む。
・・・ ・・・
釈尊はいわれる。人の思いは二つの矢となって飛んでゆく。ひとつは相手に刺さり、一つは自分に刺さる。人を苦しめることや人を傷つけることや暴力で人を束縛するならば、やがて自分の心のゆがみが必ず内臓を痛めつける。公道にて信号を無視するのと同じで、社会のルールをはみ出し続けると、必ず交通事故に遭遇する。
悪は、悪を好きな人を呼び、お互いに毒の矢を持ち出して傷つけ合う。欲が深く悪しき人が仲間を作って行動してもいつまでも仲が良いということは決してない。必ずどこかで、欲の対立を始める。そして、今世で苦しみ、死んだ後、精霊の世界で、その罪の苦を自分自らがつらく反省し次の転生で、それを償う人生を送る。さらに前世で自分が他人になした悪の業の苦しさと、心の痛みを自分が味わう。
「なんで私だけが、こんなに不運なのか。なんで私が、こんな罰を受けないといけないのか、何もしていないのに!」
という時、それは前世の業を今の生で果たしていることが多い。その苦を受けよ。その苦の深さを知って、今瀬で業を抜け出せ。釈尊はだから、それを二つの所(現世と来世)で悔い悩むと説く。そして精霊の世界(死後の世界)では、なした豪、なした悪のつらさを、学ばされる。だから善をなせ。人の喜びに参加し、人の苦を身をもって救え。人の重い荷は、もし背負えるならば、かわってやるといい。人を傷つけるなかれ、自分の楽しみだけに生きるなかれ、分ち与え、ともに喜べ。そうすると三つの所で私たちは祝福されるだろう。
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