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2016年03月11日00:29

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「神の詩・バガヴァッド・ギーター」

「バガヴァッド・ギーター」は、インド古典中もっとも有名で、ヒンドゥー教が世界に誇る珠玉の聖典であり、古来宗派を超えて愛誦されてきました。表題は「神の歌」の意で、インドにおいて、2500年も脈々と受けつがれてきました。

その「バガヴァッド・ギータ」について、2016年02月22日の日記「あらゆる不幸や心配を救うギーターの教え」で、紹介しました。
http://blog.zaq.ne.jp/bhagavadgita/category/1/

今回はバガヴァッド・ギーターの教えの一部を日記にしました。
以下、A・ヴィディヤアーランカール「ギーター・サークル インド思想入門」(東方出版)より。


魂(アートマー)は刀で切ることもできなければ、
火で焼くこともできない。魂は水で濡らせない。
そして、風もそれを乾かすことはできない。

(ギーター/第2章23)

肉体と魂は、近い関係にあるようでも、それらは全く別々のものである。肉体は物質的で無意識であるが、魂は非物質的で、そして、意識そのものである。この世に起こるいろんな現象は、肉体に影響を及ぼさずにはおかない。しかし、これらは魂に対しては、どんな影響も生じない。肉体に受けるどんな傷害も、魂を決して傷つけることはない。あらゆる肉体的な変化の中で、魂は常に唯一の状態で存在しつづける。自身の魂を知るには、我々の内に、初めから終わりまで、常に不変の状態でいるものを知らねばならない。


肉体に覆われた魂は、現世でこの肉体に於いて、
子供時代、青年期、そして老年期を過ごして行く。
そのようにして死後、魂は別の肉体に出会っていく。
冷静な人(賢者)はこのことに囚われ惑わされない。

(ギーター/第2章13)

誕生の時から、我々の肉体は絶えず変化をしつづけている。しかし、我々の魂には、どんな変化も起こらない。死後、魂は新しい住処を得る。そして、その新しい肉体も、誕生し、成長し、老いるという過程を、再びくり返すことになる。魂は誕生以前から存在し、死後もまた存在し、人生のあらゆる変転の中にあっても、魂は不変の性質を保ちつづける。

四方に変転する事象を平静に見守り、そして不動の心を保っている人こそ賢者と言える。賢者は死への恐れを持たない。何故なら、彼は自分の魂が再び新しい肉体に出会えることを知っているからである。


魂は、いつ生まれるということもなければ、いつ死ぬ
ということもない。魂は一度生じて、再び生じない
というようなものでもない。魂は誕生もない、永久のもの、
時を越えてあり、そして常に存在するもの。
肉体は滅んでも魂の死滅はない。

(ギーター/第2章20)

誕生は、常に肉体が生じたことで、魂のことではない。死もまた、肉体に起きたことであり、魂にではない。ある肉体は一度生まれれば、それは二度と生まれない。しかし、魂は不生不滅、そしてそれは、滅びる肉体の中にあって常に不老不死でいる。世のあらゆる変転、即ち、すべての歴史は、悉く肉体の於いて起こることなのだ。魂や意識は歴史を越えている。


人が古い衣服を捨て、新しい衣服を着替えるように、
最も古い肉体を捨てて、新しい肉体を纏う。

(ギーター/第2章22)

この詩句は、肉体と魂の関係を大変美しい比喩で語っている。古い衣服を捨てながらも、我々はさほど悲しみは起こらない。何故なら、我々は、それに代わる服を着れることを知っているからである。まさにこのように、もし我々がこの世での肉体が亡くなった後も、必ず新しい肉体を纏えることを信じられるなら、我々には死への恐怖もなければ、それに対してなんらの悲しみも生じないであろう。同時に、ある人たちが、それぞれ違った衣装を着けていても、我々は、彼が誰であるかを知ることが出来るように、我々は様々な肉体を纏っている不変の魂を知らなければならない。


この魂は、殺すと考えるのも、そして殺されると思うのも、
そのどちらも、真実を知らない。
魂は誰かを殺すのでもなければ、
また自らいつ殺されるものでもない。

(ギーター/第2章19)

人類の歴史は、おおよそ、人が殺されたり、殺したりすることに占められている。しかし、それはすべて表面に起こり続けていることである。世界の全ての現象の背後に、一つの不変不動の真理がある。インド思想では一般に、全宇宙にただ一つの意識のあることを認めている。世界のすべての生き物には、この意識がひとつの新しい体に纏われることである。そして死後、その意識はその体に変わり、別の体を得る。このように肉体において、また物質世界に起きることは、すべて宇宙意識の中で起こっている遊戯の一部である。この遊戯の背後の深奥には、いつ誰が死ぬとか、誰が死んだということもない。


アルジュナよ、すべての生き物たちの、
始めのことを何ら知ることもなければ、
またそれらの終わりについても、知ることはない。
我々は唯その中間に於いてのみ知るのだ。
それ故、それらに拘ってどうして悲しむことがあろう。

(ギーター/第2章28)

この世界と、そこでの我々の生活は、我々には全く真実のものに思われる。しかし、この世界がどうして造られ、我々がどうして来たのか、何も知らない。

有名なウイリャム・ジェ−ムスも、この宇宙が出現していなければ、我々の中の誰一人として、此処に居ないという可能性もある、と言っている。しかし、我々はこの世界は常にあり、我々も常に存在するものと思っている。また我々は、ここ僅か幾十年か前に来て、そして幾時間後にも、ここから去って行くことを忘れている。この無知の故に、我々は自分自身に、またこの世に執着し、迷妄に陥っている。このために我々は、自分と自分の身近な人々の、死の恐れに悩まされ続けるのである。



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