以下、田口佳史「超訳 言志四録 佐藤一斎の自分に火をつける言葉 」(知的生きかた文庫)より。
次の「言志晩録261」にも、老人への戒めの言葉があります。
人は老境に至りて儘々(まま)よく忘る。唯々(ただただ)義のみは忘るべからず。
「年をとって、物忘れがひどくなるのはしょうがないにせよ、義のことだけは忘れてはいけませんよ」とは、なんとも皮肉な言いです。
義については後で詳しく述べますが、ここでちょっとテストをします。
「あなたが2,3週間、ろくにものを食べていなくて、餓死寸前だとします。そのとき、親切なご婦人がパン一切れ差し出してくれました。受け取りますか?」
「受け取りません」なんて答える人はいませんよね ? いいんです、受け取っても。
でも、そのご婦人がパンを投げてよこしたら、あるいは足でポンと蹴って恵んでくれたら、どうですか? 「食べ物を足で蹴るなんていない」なんて言わないでくださいよ。これは孟子が言っているんですから。
いまは、そんな屈辱的な与えられ方をしても、受け取ってしまう人が多いから困るのです。たとえ餓死したとしても、断じて受け取るべきではありません。ご婦人のこの行為が義にもとるものではない以上、それに乗じてはいけないのです。
孟子は「義は命より尊し」と言っています。なぜなら、義をおろそかにすると、社会の根本が崩れてしまうからです。極端な話、「自分がいい思いをできるなら、何をしてもいい」となってしまいます。
吉田松陰のこの問いかけに、
「断じてもらってはならぬ。ならぬものはならぬ」
と言っています。理屈抜きだと、「そんなふうに義を貫く人間が一人でもいれば、社会がよくなるんだ」とも。
年をとって老練になるのはいいけれども、「まぁ、いいじゃないか、いいじゃないか」と「何でもあり」みたいになってはいけない。義がグサグサになってしまう危険がある。佐藤一斉はそう諭しているわけです。
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