ヨガ仲間Aさんの随筆集「思いつくままに」より転載します。
私達が日常、なにげなく使っている言葉で自分自身が創られ、家庭が治まり、職場が機能します。中国の古典にも「善言を与うるものは布帛(ふはく)よりも煖(あたた)かなり」とか「徳ある者は必ず言あり。言あるものは必ずしも徳あらず」とか 「事に敏にして言に慎しむ」など言葉については、戒めの文が多い。
日夜苦吟している俳句の問題にしても、結局は言葉をいかに適切に使うかに腐心していると言っても良いでしょう。言葉次第でそこに大きな感動を与えたり、共感をもたらしたり、希望を与えたりする。私ごとで恐縮だが、ヨガの席で「七〇年息して呼吸を考えず」という句を出した。俳句とは言えないかもしれないが、5・7・5である。ところがこれが意外に反響を呼んだ。ヨガ歴の長い人ほど感心した。何かもやもやしているものをスパッーと言い切ることが出来れば誰しも感動する。
嫁と姑の確執や、リストラに遭った人の怨み節を聞いていると、発端は言葉のやりとりである。もともと争う遺伝子を持っている訳でもない赤の他人がもつれだすきっかけは言葉の行き違いによることが多い。
私達の育ってきた時代は不言実行という言葉が称揚された。黙って言われたことをやっていれば良い! という感じだったが今は違う。黙って間違った方向へいってしまっては困るから、有言実行が組織活動の上での美徳である。単なるパフォーマンスでなく、言ってから実行することが組織維持には欠かせぬ要素である。
話が少々外れてしまったが、この言葉の力をはっきり目に見える形にしてくれた本に出合った。「水は答えを知っている」(江本勝)である。
江本さんは、あの綺麗な雪の結晶でも、よく見ると同じものは一つもない。と教えられたことからヒントを得て、日常の周りにある水を結晶にして写真に撮り、その違いを明らかに出来ないかと考えた。いろいろ研究を重ねた結果、凍らせた水の温度が上昇し氷が溶けはじめる数十秒だけ結晶が現われることを発見し、写真撮影に成功した。ところが山の水でも自然水は、キレイな結晶が得られるが、消毒用に塩素が入った水道水は結晶しないことが判った。
ある時、研究員が「水に音楽を聴かせて結晶を見てみよう」と言った。たしかに音楽を聞かせると振動が伝わり、水の性質を変える可能性はある。実験の結果は同じ水を使っても聞かせる音楽によって、結晶形が違うのである。そこで更にすすめて言葉を水に見せて(紙に書いて貼っておく)結晶の形がどう変わるのか、常識の範囲を越えると思ったが実験してみた。その結果は実に驚くべきものであった。「ありがとう」を見せた水は六角形のきれいな結晶を造り、「ばかやろう」を見せた水は、ばらばらで結晶にならなかった。この実験が教えてくれることは、私たちが日常口にしている言葉がいかに大切か、良い言葉は物を良い性質に変え、悪い言葉は破壊へと向かわせることだと江本氏は言っています。この欄では水の結晶をお見せ出来ないのが残念ですが、本にはあらゆる実験結果の写真が掲載されています。例えば日本語では「ありがとう」ですが、英語では? 中国語、フランス語、ドイツ語、イタリア語等で試されているが結果は全て同じでした。
いつか聞いたことがあります。花を褒めれば美しい花が咲き、野菜に声をかけてやると見事な出来栄えになると。人間のからだも水分70%、言葉と体は波動でつながっていて、良い呼びかけをすれば、良い呼びかけが返ってくる。私も長い人生の中で、そんな経験を何度かしてきたような気がします。
このように考えてくると、私達は日頃、起ってきた現象の尻尾ばかり追いかけて一喜一憂していますが、もっと前向きに良い現象をつくり出す姿勢、即ち良い言葉をかけ合う努力を惜しんではならないと思います。
他の物質は、液体から固体になるしたがって密度が高くなり比重が重くなります。ところが水は氷になると軽くなって水の上に浮きます。この本は水の楽しさと偉大さを教えてくれます。
(以上)
※参考
1.「善言を与うるは布帛よりも煖かなり」・・・(『荀子』)(人をいたわり、ためになる言葉をかけてやることは、着る物を与えるよりもあたたかさを感じさせる。言葉の大切さを言った言葉です)。
2.「徳ある者は必ず言あり。言あるものは必ずしも徳あらず」・・・(『論語』憲問)
(徳のある者は必ずよい発言をする。内面の徳が言葉となって表に出るからだ。しかし、)よい発言をする者が必ずしも徳のある者とは限らない。先ばかり達者な者かもしれない)
3.事に敏にして言に慎しむ」・・・(『論語』学而篇)
(言葉よりも実行に励むべきだ。実行は敏捷に、言葉は慎重に)
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