お互いに日に新たな、いきいきした暮らしを送るうえで非常に大切だと思うのは、“こわさ”というものを感じながら日々を送るということです。といいますと、「こわさを感じるということは臆病だからで、こわがっていては何もできないではないか」というように考えられる方もあるかもしれません。しかしここでいわんとするこわさとは、そういった臆病であるがゆえに感ずるこわさではなく、もっと積極的な意味での、謙虚な態度というものに通ずるこわさなのです。
たとえば、身近な例をあげますと、子どもは親や教師にこわさを感ずるでしょう。店員は主人がこわいし、社員は社長がこわい。また会社で最高の地位にいる社長にしても世間がこわいというように、人はそれぞれこわいものをもっているわけです。
また、他人がこわいというだけでなく、自分自身がこわいという場合もあります。ともすれば自分はつい怠けがちになるが、この怠け心がこわい。あるいは他人に対して傲慢になりがちな自分の性格がこわいということもあると思います。何か事をなすにあたって、自分の勇気のなさ、信念のなさがこわいということもあるでしょう。
また神がこわいとか、自分の運命がこわいということもあるかもしれません。そういうただ単に犬にかまれるのがこわいといったこわさとは違った、もっと精神的な意味でのこわさというものを常に感ずることが必要ではないかと思うのです。
なぜなら、お互い人間にとっては、何ものかにこわさを感じて、それを恐れつつ、身を慎んでゆくことが大切なのであって、もし、そういうこわさというものが何もないならば、自分の思うようにふるまうことはできても、結局は、自分をダメにしてしまうことが少なくないからです。こわいもの知らず、ということほど危険なことはないといえるように思うからです。
・・・・「人間としての成功」(PHP)より。
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