我を忘れて一つのことに真剣に打ち込んでいるときや、一つの問題にゆきづまってしまい、
いくら考えても分からず、ニッチもサッチもいかなくなった場合に、まったく予期しなかった方向から、解決の糸口がポカリと開いてくることがあり、あれほど固かった壁が容易に開かれることがあるものです。
私が某大手家電メーカーの四国支店に勤務していた当時、「販売店経営向上のための施策」というテーマについて研究したことがあります。本社提出の期日は決まっていました。
ところが、期日は一週間のちに迫りましたが、そのテーマの一番大切なところがわからない。それは、戦後間もない昭和25年当時の販売店の経理の帳簿が欲しかったのです。
取引販売店、数十店に問い合わせましたが分からない。分からないはずで、二十数年昔の帳簿を保存しているところなどあるはずがないのでした。
困り果てながらも、他の用件があり宇和島市に出張しました。
その地に着くなり、何となく山口テレビというお店に寄り立なくなったのです。出張予定外のお店です。
お店にお伺いして、あれこれ話をしていますと、ご主人の山口さんが急に思い出したように、奥に引っ込んで帳簿を持ってきました。そして、
「この店も開業して二十数年になりますが、これが開店した当時の現金出納帳です」。
何と、昭和25年当時の帳簿ではないですか !!
私にはまさに棚からぼた餅で、思わぬところから悩み続けていた問題が解決したのでした。
ちょうど、本社提出の5日前のことでした。
販売店がよくなっていただくためには、「どういう方法があるか、どうすればよい」とそのことだけを真剣に必死に考え模索しているとき、それも自分のことよりも、相手の利益、相手の繁栄を願った純粋の気持ちで無心となって打ち込んでいるとき、その想いが宇宙に感応し宇宙全体が味方となって、道を開いてくるものがあるのだな、と悟ったものでした。
いろいろ本を読んでいますと、これと同じように、物事に真剣に集中しているとき、人知を超えた何かの力に導かれるように解答が、与えられるということもあるようです。いわゆる霊感による導きです。
たとえば、モーツアルトは彼が作曲した美しい交響曲の数々は、「向こうからやってきた」と言いましたが、向こうにあるものというのが、宇宙に存在する智恵の蔵が開いたということでしょうか。
タルチーニは夢で「悪魔のソナタ」を作ったといい、ベルリオーズも夢を見てシンフォニーを作曲したといいます。
ベンゼン環を発見した科学者のケフレの場合も夢を見たのでした。
以下、河野守宏氏「気力・胆力の強化法」を転載します。
彼はベルギーのある下宿で研究に没頭していたが、なかなか考えがまとまらない。そのうち、いつの間にかうとうと眠ってしまった。
その時、目の前に原子が長い行列となってヘビのようにからみあって、ぐるぐる回りながらおどっている。するとヘビのうちの一匹が自分のシッポを加えてぐるぐる旋回した。・・・・・・。
その時だ、彼はまるで雷に打たれたように、夢から目覚め、あの有名なベンゼン環いわゆる亀の子をインスピレーションで発見したのであった。
(以上)
利己心ではなく無心になって、世のため、人のため、必死に、努力するとき、宇宙はその人に智恵の蔵を開いてくれるのだと思います。
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