マザーテレサが立派な人だ、ということは、今更私の言葉を使うまでもない。
この記事の中で引用されている。
「人間にとって最大の『悲惨』とは、飢えでもなくハンセン氏病や結核やガンでもない。それは、自分がこの世で全く必要とされていない、と感じることである」
「全く必要とされていない、と感じること」 確かに、これはつらい。
いわゆる、「疎外感」
嫌がられるとか、嫌われるとか、それは、まだ人間としての関係があるが、人間としての関係を断ち切られてしまう、と、一体自分の存在は何なのか? となってしまう。
おおよそ、宗教などはこの問題を
「神」
を媒体として、クリアしてみる。
まず、 人間と神 との間には、切れない関係がある。
次に、神は人が人と共生していることを告げる。
そうすると、世界の中で、すでに見捨てられてしまっている人に対しても、
何らかの手を差し伸べようとする人が出現する。
宗教自体は、人間が作り出したものだが、
結果的に、人が人を救う、
「社会の仕組み」
が、ここで出現してくる。
一足飛びに、いきなり結果は出ないにしても、宗教などを利用して、社会の仕組みを安定化させ、人間が人間足り得る生き方ができるようにすることには、一定の意味はある。
本来は、人が人の良心にのっとって、他者に対する思いやりを最大限発揮し、
何の関係もない、他人
背負うと荷物になる、 病人
見かけのむごい、何らかの被害者
そんな人たちに、手を差し伸べて、ともに友人として生きる道を探らないといけない。
とは言え、「伝染してしまう病気を持った人」 は、こうした対象として厄介であることは確か。
目の前に、
コレラの人がいる。
エボラ出血熱の人がいる。
エイズの人がいる。
インフルエンザの人がいる。
狂犬病の人がいる。
デング熱の人がいる。
みたいな例で、同じように行動できるかどうか、具体的に目の前にそうなってしまったケースも多いはず。
かつて、ハンセン病は、伝染すると考えられていたこと、そして、感染した人の風貌が大きく変化してしまうことが、いわれのない差別を作ってしまった。
現代でも、感染症の中で、特に不治の病に近ければ近いほど、自分の周囲から人はいなくなるだろう。
医療関係者は、仕事だから、接してくれるのであるが、そこに人と人との友情が生まれるのかどうか、かなり疑問。
そうして、自分が、誰の役にも立たない。 誰からも必要とされない、という状況に陥っている時、
それでも生きて行く勇気を持つためには、
そうでないときに、一見して世の中から見捨てられている人に、手を差し伸べる。
そんな、マザーテレサのような行為を行えるかどうかは重要かと思われる。
彼女の言葉は、病気ではなく
「人間の心」 そのものを、孤独にしない、 支える、 友人になる。
でも、もうちょっと突き詰めてみた。
そこまで、人間が自分の魂を 倫理的で良心に包まれたもの に昇華できるのだったら?
孤独も克服できるのではないか?
できない人を、周りの人が助けてあげて、という意味か。
------------------------------------------------------
■【人権の島と向き合う(5)完】ハンセン病は世界を変える 長島愛生園歴史館学芸員・田村朋久さん
(産経新聞 - 01月23日 09:03)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=3&from=diary&id=3817234
マザー・テレサは、「人間にとって最大の『悲惨』とは、飢えでもなくハンセン氏病や結核やガンでもない。それは、自分がこの世で全く必要とされていない、と感じることである」と述べた。かつて、ハンセン病を患った人たちは偏見と差別のもと社会から排除された。まさに社会から「必要ない」との烙印(らくいん)を押されたのだ。
しかし今、ハンセン病に対しては多くの人たちが人権の課題として関心を寄せ、この歴史から偏見と差別の社会構造、人権の大切さ、生きるとは何なのか、などを学んでいる。
平成27年10月、長島愛生園(ながしまあいせいえん)歴史館の月間来館者数は1700人を超え、過去最高となった。見学に訪れる人たちは、入所者の経験を必要としているのだ。
愛生園入所者自治会長の中尾伸治さん(81)は「後世の役に立つなら私たちの人生も無駄ではなかったと思える」と話していた。入所者にとっては「負」の側面が強いハンセン病の歴史を、現代社会に生きる私たちが学ぶことにより、人権が尊重される社会を構築することができる。さらに、「負」の歴史を「正」の未来へ転換することにより、入所者の尊厳も回復するのだ。
しかし、そんな彼らもすでに高齢で、話を聞くことが難しくなってきている。15年前、十数人いた愛生園の語り部はわずか5人となっている。
こうした状況の中で、療養所の歴史や彼らの想いを風化させることなく、これからも継続的に語り継いでいくためには、さまざまな取り組みが必要となる。
平成25年、その取り組みの一つとして愛生園は近接する邑久光明園(おくこうみょうえん)とともに、ハンセン病療養所に残る隔離政策下の歴史的建造物を世界遺産に登録すべく活動を始めた。これは、ハンセン病の歴史を風化させないためには、世界遺産に登録することが最も有効な手段だと判断したためだ。
世界遺産登録の意義としては、人権が尊重される社会の実現▽入所者の生き抜く強さの提示▽環境の保全▽社会へのアピール▽国の姿勢の明示−などを考え、27年には全国ハンセン病療養所入所者協議会から、この運動を「支持する」との決議も得られた。現在は大島青松園(おおしませいしょうえん)(高松市)を加えた瀬戸内の島に造られた療養所を中心に、運動団体の設置を目指し、地元自治体と協議を行っている。
昨年、久しぶりに広島の原爆ドームと平和記念公園、広島平和記念資料館(原爆資料館)を訪れた。原爆ドームは言わずと知れた世界遺産だ。資料館には日本人だけでなく外国人の見学者が大勢訪れており、平和記念公園にはそこで憩う人たちも見受けられた。数十年後の長島も、今の広島と同じ様に多くの人が集い、人権について考える、そんな場にしたいと心から感じた。
ハンセン病は古くは旧約聖書にも記載された差別の病だ。それを特効薬の開発という科学と人権の尊重という英知によって乗り越えることができるならば、人種差別や宗教間の争いなど、今なお世界中に存在するさまざまな課題も乗り越えることもできるはずだ。
ハンセン病を知ることで世界が変わる。私自身も、療養所を訪れる人たちも、その大きな可能性に向き合っているのだ。
◇
たむら・ともひさ 昭和51年、岡山県瀬戸内市邑久町生まれ。福山大学を卒業後、商社勤務を経て、平成13年に国立療養所「長島愛生園」(瀬戸内市)に転職。併設する資料館(歴史館)の立ち上げに携わった。通信教育で学芸員の資格を取得。年間1万人を超える来館者にハンセン病の隔離の歴史を伝えることを通して人権・差別問題に関心を持つよう促し、各地で講演活動も行っている。
ログインしてコメントを確認・投稿する