神渡良平「苦しみとの向き合い方」(PHP)に文科省大臣・下村 博文(61歳)のことに触れていましたので、紹介します。以下、転載します。
下村文科相から深夜の電話
平成26年(2014)8月16日夜10時過ぎ、私の書斎の電話が鳴った。パソコンを叩いて原稿を書いていた私は、こんな夜半に誰だろうと思いながら、受話器を取った。
「もしもし、下村ですが。文科相の下村です・・・・」
電話口から聞こえてきたのは、旧知の下村文科相の弾んだ声だった。
「神渡さん、たった今、新刊の『中村天風人間学』(PHP)を読み終わりましたよ。いやあ、読み応えがあった。いい本を書いてくれてありがとう」
私は祝福の声に恐縮してしまった。でも、『中村天風人間学』は刷り上がったばかりで、まだ市販されていない。見本や取材先や、前年の12月、天風先生が修行されたヒマラヤの山村を訪ねた旅に参加された15名に送っただけだ。
「でも、どうしてその本を入手されたんですか?」
「私の息子2人が、あなたの主催されたヒマラヤの旅に参加したでしょう。だから先に息子に送って来られたんじゃないですか。私はお盆休みで家にいて、息子の机の上でこの本を見かけたので、手に取って読み始めたんです。そうしたら引き込まれてしまって、2日で読んでしまいました。
下村文科相はさらに電話口で話された。
「人生の難関にぶちあたったとき、人々は天風先生の言葉をどういうふうに活用し、自分を励まし、難関を乗り越え、何事かを達成されたか、書いておられるでしょう。私自身もそれなりに苦労しましたから、とても共感して読みました」
大臣ともなると多忙で、本を読んでいる時間は取れないと思うのだが、下村文科相は大変な読書家だ。「たまたまお盆休みで家にいたから、読んだんです」と謙遜されるが、出勤の車の中とか、就寝前のちょっとした時間を見つけて読書するのだという。
中村天風師については、これまでさまざまな作家や思想家が書いている。だから敢えて私などが取り上げなくてもいいのだが、天風師の生き方には啓発されることが多いので、折に触れて、二度、三度、四度と採り上げてきた。
私は中村天風師について初めて書いた本の書名を『宇宙の響き 中村天風の世界』(致知出版)としたが、いま読み直してみて、よくぞ書名を『宇宙の響き』にしたものだと感心する。天風師は、「人間が大宇宙に感応し、存分にそのエネルギー(プラナ)を取り入れるとき、人間は人間以上の存在になり、持てる力を十分に発揮できる」と説いているが、まさにそのとおりで、人間は「宇宙の響き」にもっと感応すれば、次元の低いこざかしい人間の煩悶から脱却できる。自由で屈託のない、本来の自分を取り戻すためにも、瞑想によって悠久なる世界、絶対の世界に遊ぶ必要があると思う。
天風師の悟りの深さは、私などには計りようのないほど深い。でも天風師亡き今となっては、類推するしかない。天風師のメッセージを書こうとすると、自分の力量のなさを痛感し、無力感に襲われる。しかしながら天風師の心魂からのメッセージは、私たちの求道の明確な目標となる。そこで、敢えて再び天風師がつかんだ悟りについて書いたのだ。
苦境にめげず
下村さんは昭和29年(1954)、人口わずか6千人の群馬県群馬郡倉渕村(現高崎市倉渕)に生れた。ところが9歳の時、農協の職員だった父が酪農家の指導に出かけた帰り、オートバイのハンドルを砂利に取られ、道路脇の川に転落して亡くなった。
母は早朝田畑で働き、昼間はパートに出て、夕方からまた農作業をして、三人の子どもたちを養った。家は経済的に困窮し、下村少年は普通高校に行くのは半ば諦めていた。長男の下村少年の下には小学生の弟が二人いて、これから学費がかかる。だから母は下村少年に、昼間は働いて夜間の定時制高校に行ってくれと頼んだ。母には息子を大学に出す資力はなかったのだ。
でも下村少年は、定時制高校に行けば、自分の人生は工員か何か、ほぼ決まってしまうと思った。それは嫌だ。自分にどれだけのことができるのか、可能性を試してみたい。何とか道はないものかと探していると、担任の先生から思いがけない朗報をもたらしてくれた。
「来年度から交通遺児育英会(後のあしなが育英会)という奨学金制度が発足するぞ、下村君、応募してみないか」
奨学金をもらえれば、普通高校に行ける! あまりの喜びに下村少年は飛び上がって喜んだ。そして猛烈に勉強し、群馬県でトップの進学校である県立高崎高校に入学した。
タカタカと呼ばれる県立高崎高校は福田赳夫、中曽根康弘という二人の総理大臣を輩出した名門校である。奨学金はさらにもう一つ、日本育英会からも給付されることになった。母に仕送りを頼める経済状態ではないので、不足する生活費は夏休みや冬休みに集中してアルバイトしてまかなった。
大学は早稲田大学教育学部に進み、二食付きの寮を完備している新聞販売店で朝夕刊を配達して、大学に通った。そんな下村さんに運命的な出会いがやってきた。ある古本屋で『青春国会劇場早稲田雄弁会が生んだ7人のサムライ』(豊田行二著 文化総合出版)を買って読み、全身が震え上がるほど感動した。七人のサムライ、すなわち海部俊樹、小渕恵三、森喜朗などの青春を描いた本だ。この内、三人は総理大臣、一人は衆議院議長、一人は参議院議長になっている。
「政治家になろう! おれの行く道はこれしかない」
そこで雄弁会に入り、3年の時には幹事長に選ばれ、政治家になる下準備をしていった。
下村さんの青少年期を俯瞰すると、冒頭に掲げた『言志晩録』190条がそのまま当てはまる。
「富人を羨むなかれ。彼がいまの富、いずくんぞ知らんその後の貧を招かざることを。貧人を侮るなかれ、彼がいまの貧、いずくんぞ知らんその後の富を胎せざることを。
畢竟天定なれば、各其の分に安んじて可なり」。
(金持ちをうらやんではいけない。彼の今の富は、後日貧乏になる原因を宿しているかもしれない。また貧乏人を侮ってはいけない。彼の今の貧しさが、後日、富を築くもとになるのかもしれないからだ。貧富というのは天運であるから、人をうらやみ、侮ったりすることなく、現在の境遇を安んじて受け入れ、そこで努力することが大切だ)
下村さんは、「人をうらんでも仕方がない。自分の不幸を嘆いても、どうにもならない。活路を求めて努力すれば、道が開ける」と身をもって知ったのだ。
・・・続く・・・
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