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2016年01月16日18:14

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J.S.バッハ: 「無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ」(全曲)/五嶋みどり

【収録曲】
 CD1
1 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト短調 BWV1001
2 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第1番 ロ短調 BWV1002
3 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ短調 BWV1003
 CD2
4 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004
5 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ハ長調 BWV1005
6 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第3番 ホ長調 BWV1006

五嶋みどり(Vn)

録音: 2013年8月13日〜17日,クラウス・フォン・ビスマルク・ザール,WDRフンクハウス,ケルン
Onyx ONYX4123(セッション)

五嶋みどりにとって,初の全曲録音となるバッハの無伴奏は,彼女のデビュー30周年を記念するプロジェクトの一環である。このプロジェクトは,2012年の夏,日本各地の寺社仏閣や教会で,バッハの無伴奏を弾くことから始まったと記憶している。BSで放送されたこのツアーの模様から鮮烈な印象を受けた。

この放送を観て,五嶋みどりはバッハの無伴奏の全曲録音を近いうちに出すだろうと直観した。昨年,このCDがリリースされるとの報に接したときには,クレーメル盤と肩を並べるバッハの無伴奏が聴けると期待した。だが,何度かの発売延期を経て,10月7日に発売されたこのCDを聴いたあと,半分肩透かしを食ったように感じた。

その新譜に収録されていたのは,シャープでストイックな五嶋みどりが弾く峻厳で崇高かつ求心的なバッハとはやや異なる趣のバッハだった。彼女が円熟期に差し掛かりつつあることを示唆するようなバッハの無伴奏ソナタとパルティータとでもいうべき演奏が収められていたのである。響きはふくよかで豊麗,音の連なりは極太の線のようであり,確固たる意志が支配するというより自然体で弾いた無伴奏のようにきこえる。

彼女自身が認めたライナーノートによると,五嶋みどりは古楽奏法によるバッハの無伴奏に魅かれ憧れてきたという。そして古楽奏法に対するある種の呪縛から解き放たれたことが,無伴奏の全曲録音の背景にあることがその文面からうかがわれる。彼女に対し抱いていたステレオタイプのイメージとこのCDに収められている演奏のギャップを埋める鍵は,おそらくこの呪縛からの解放にあると断言していいだろう。

そしてこの心境の変化は,バッハの無伴奏の演奏に限らず,他の作品の演奏に対しても同様の影響を与えているとみるべきだ。ONYXへ移籍して以降の録音を聴いたときに覚えたわずかな戸惑いも,五嶋みどりの心の奥底で起きた同じような変化に起因するのではないだろうか。そのような変化が生じているとすれば,移籍後にリリースされたヒンデミット,ショスタコーヴィチ,ヤナーチェクなどの演奏で感じた五嶋みどりの変貌を過不足なく説明できるように思う。

また,それは彼女の音楽そのものに対するスタンスの変化であり,この世界に対するスタンスの変化であり,人生に対するスタンスの変化でもある。穿ち過ぎの誹りは免れないかも知れないが,彼女が「母親殺し」を完遂したことの証のようにも解釈できる。

長年にわたって苦しめられた呪縛から解放され,晴れ晴れとした気持ちで弾いたバッハであることが手に取るようにわかる演奏だ。その反面,五嶋みどりの魅力の一部が失われたように感じるのも事実である。あの禁欲的な姿勢が生みだす緊張感,触れただけでケガをしてしまいそうな鋭利さ,何かに急かされてでもいるかのような切迫感。五嶋みどりの持ち味と思っていたこのような側面が後退することに伴う物足りなさは如何ともし難い。

演奏家として,そして一人の人間として,いわば生命を賭して勝ち取った成果をこんな風に評価をする音楽好きの身勝手さには自分でもあきれてしまう。そのような良心の呵責はさておき,無責任な音楽好きにもどって,もう一度放言を許してもらうなら,五嶋みどりにはもう一山越えてほしいところだ。その先には伝説的な演奏家としての名声が待っているだろう。

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