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2015年10月17日10:17

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言志四録「人生を楽しむ」



【現代語訳】
『中庸』第14章に、「立派な人はどこにいても、どんな地位にいても、不平を抱かず、それぞれの地位に応じて、するだけのことをして、決してあくせくしない」とある。怏怏として楽しまずということは、功利利益をむさぼっている人が心中に抱いているのである。

【原文】
君子は、入るとして自得せざる無し、怏怏として楽しまざるの字、唯だ功利の人之れを著く。 (言志耋録136)

【解説】
住友生命元社長の新井生明は25歳の時、戦場で片足を失った。満州奥地の戦場から内地に送り返され、陸軍病院に入院しているとき、一高の友人で、弁護士の堀切真一郎が、学友の丸山真男(東大名誉教授)の肩につかまって、見舞いに来た。

堀切真一郎は中学時代に小児麻痺をやられている。従って一人では通学できないので、ダットサンで一高に送ってもらっていた。もの珍しさもあって、新井はその車に乗せてもらい、あちこち連れて行ってもらったこともあった。

堀切真一郎の父、堀切善兵衛は大蔵官僚から政治家になった人で、大蔵次官やイタリヤ大使など歴任したのち、政友会から国会に出ていた。新井は、だから堀切は裕福で、自動車で通学できるのだろうとしか、考えていなかったのだ。

見舞いのときから、足の悪いことなど少しも感じさせない堀切の態度に、
(堀切のやつはすごいな)
と新井はすっかり感心してしまった。同じ境遇に置かれてみて、堀切のように何事もないように振る舞うのは至難の業だと知ったからだ。

そんな矢先、堀切真一郎の母親が大輪のバラをたくさん持って見舞いに来た。
堀切の母は新井に慰めて言った。
「うちの真一郎はわりに小さいときから脚が悪かったので、はたで心配するほど、本人は気にしていません。でも新井さんは急に脚を亡くされて、さぞかし大変でしょう」。

新井は意気消沈してはいられない。堀切の真似をして強いて快活に振る舞った。
「いや、お母さん、ものは考えようです。真一郎君は脚が悪かったために、運動会にも出られなかった。海へも山へも行けなかった。その点、私は大抵のことはやってきましたから、真一郎君よりは幸せです」。

そう言ったとたん、新井に閃くものがあった。
(そうだ、ないものねだりをしてもしようがない。真一郎君より恵まれたいたことは確かだ。人間、暗いところばかりを見つめれば暗くなる。明るく考えている人間は、おそらく運命からも愛されて、明るく幸せな人生を送ることができるのではないか――)。
将来をくよくよ考え、悲観しがちだった新井にようやく曙光が見えてきた。

職場に復帰し、健常者に負けまいとして頑張る新井に、あるとき上司が、住友本社の人事部長をしいている田中良雄も膝から下がないんだと教えてくれたのだ。新井はそう聞いてショックだった。そんな気配は微塵も見せないのだ。それどころか、田中は著書「職業と人生」などによっても、人々に大きな影響を与えていた。新井は深く考えさせられた。ますます自分の悲しみに拘泥しないで、前向きに取り組まなければならないと知らされた。
・・・・神渡良平「佐藤一斉藤 言志四録を読む」より。



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