mixiユーザー(id:7846239)

2015年05月03日16:55

850 view

『交響曲第14番』(ショスタコーヴィチ)/クルレンツィス&ムジカエテルナ

【収録曲】
ショスタコーヴィチ: 交響曲第14番 ト短調 Op.135 「死者の歌」(1969)

ユリア・コルパチェヴァ(ソプラノ)
ペトル・ミグノフ(バリトン)
ムジカエテルナ(管弦楽)
テオドール・クルレンツィス(指揮)

録音 2010年7月,ノヴォシヴィルスク歌劇場(セッション)
Alpha ALPHA159


テオドール・クルレンツィスは,ノヴォシヴィルスク歌劇場を本拠地に,おもに古楽,オペラ,現代音楽を中心に活動をしている音楽家。1月末に,クルレンツィスとその手兵ムジカエテルナが演奏する「フィガロの結婚」を聴いていたく感激し,二匹目のドジョウをねらって,今回は現代作品を聴いてみた。ちなみに,ムジカエテルナは,ノヴォシヴィルスク歌劇場専属の室内オーケストラで,座付のオケとしてはめずらしい古楽アンサンブル。

この指揮者がショスタコーヴィチの数ある交響曲の中から,第14番を選んで録音した背景について,解説書などでは,何ら触れられていない。ショスタコーヴィチが書いたシンフォニーの中でも,第14番が屈指の傑作であることは,曲目の選定にあたって大きな鍵となったことは容易に想像がつく。だが,それ以上に小規模な弦楽5部と打楽器,それにソプラノとバリトンの独唱,このようなコンパクトな編成こそが決定的な理由だったように思う。

ショスタコーヴィチの交響曲第14番「死者の歌」は全11楽章で構成され,各楽章はガルシア・ロルカ(西),ギヨーム・アポリネール(仏),ヴィルヘルム・キュッヘルベケル(露),ライナー・マリア・リルケ(独)の「死」を主体にした韻文がテキストとして用いられている。いわば,20世紀版の「大地の歌」であるが,おなじく「死」をテーマにし20世紀に書かれた作品とはいえ,2つの世界大戦と全体主義(ナチズムとスターリニズム)を経験する前と後の差は歴然としている。「大地の歌」と「死者の歌」との違いは,作曲者の性格や気質の違いでは説明しきれない,時代的な背景の違いが大きな影を落としているといえよう。

クルレンツィスとムジカエテルナによる交響曲第14番は,過度の思い入れを排し,あくまでも局外者の立場でこの作品に向き合った客観的な演奏といえる。ノン・ビブラート奏法の弦が作りだす精緻極まりない即物的なサウンドも,作品との距離を意識させる演奏という印象を強めているようだ。古楽器による演奏という先入観とCDジャケットに使われたロシア正教のイコン画の影響もあってか,とても1969年に書かれた作品とは思えないほどの時間的な隔たりを感じさせる突き放した演奏だ。

この作品で,ショスタコーヴィチは無調や12音技法,さらにはトーンクラスターといったテクニックを自分なりに消化し,使いこなしている。しかし,このような前衛的技法をことさら誇示するたぐいの演奏でもない。どちらかというと,ムソルグスキーの「ボリス・ゴドノフ」に相通じるようなロシアの民族的な伝統を意識させる面が強い。現代的な乾いた感性でとらえたロシアの伝統とでもいうべきだろうか。現代音楽の難解さやロシア音楽の濃厚さが,巧妙にコントロールされた比較的親しみやすい「死者の歌」である。

その分,クレーメルとクレメラータ・バルティカによる「死者の歌」にみられるような,底知れぬほど深い闇の世界のもつ凄味にやや欠けている面もある。クルレンツィスの演奏では,ブラックホールが示唆するような宇宙的なスケールの恐れや戦きは希薄であり,語り部が人間界で起こった悲劇を淡々と物語るという趣が強い。

クレーメル盤とクルレンツィス盤の相違は,モダン楽器とピリオード楽器の質的な違いという面もあろうが,二人の指揮者の生い立ちの違いが決定的な要素になっているのではないか。苛烈なソヴィエト体制下で生き延びた者と,社会主義体制が崩壊した後に活動を本格化した者との違いを強く感じる。
2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2015年05月>
日 月 火 水 木 金 土
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31