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2015年01月31日15:15

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モーツァルト 『フィガロの結婚』/クルレンツィス&ムジカ・エテルナ

アルマヴィーヴァ伯爵: アンドレイ・ボンダレンコ(B-Br)
伯爵夫人ロジーナ: ジモーネ・ケルメス(S)
フィガロ: クリスティアン・ヴァン・ホルン(B-Br)
スザンナ: ファニー・アントネルー(S)
ケルビーノ: マリー=エレン・ネジ(Ms)
マルチェリーナ: マリア・フォシュストローム(Ms)
バルトロ: ニコライ・ロスクトキン(Bs)
ドン・バジーリオ: クリスティアン・アダム(T)

ムジカ・エテルナ(管弦楽&合唱)
テオドール・クルレンツィス(指揮)

録音:2012年9月24日〜10月4日
    P.I.チャイコフスキー国立オペラ・バレエ劇場,ペルミ,ロシア(セッション)
Sony Classical 88883709262


クルレンツィスとムジカ・エテルナは,人口約100万人の都市ペルミにある国立劇場の音楽監督と座付きオーケストラ。クルレンツィスは1972年アテネに生まれ,サンクト・ペテルブルクで指揮などを学ぶ。ムジカ・エテルナは,2004年にシベリアのノヴォシビルスクで,クルレンツィスにより結成された古楽演奏団体。2010年にペルミのポストへ移る際,クルレンツィスは手兵を引き連れて来た。ちなみに,ペルミはモスクワから1,400Km離れたウラル山脈西側の麓にある。

「フィガロの結婚」の全曲盤をさらに1点買う直接のきっかけは,某マイミク氏によるこのディスクを絶賛する書き込みだった。そのとき,このCDは聴いてみなければならないと直感した。クルレンツィスという鬼才がいるという記事をどこかで読んで,その時からこの名前が頭の隅にこびりついていた。また,クルレンツィスのディスコグラフィーを調べてみると,主なレパートリーは古楽,オペラ,現代音楽で,個人的な好みともぴったり一致する。

モーツァルトのオペラは,これまでぞんざいに扱われてきた。このCDのブックレットで,クルレンツィスは20世紀におけるモーツァルトのオペラ演奏の伝統を問題視する発言をしている。その理由として,大きなホールの隅々にまで届く十分な音量を確保する必要があったことも指摘する。

つまり,大きなホールで大音量を生みだすため,モーツァルトが書いた作品のディテールを犠牲にして,単純化し過ぎる習慣が定着しているというのだ。近代のオーケストラはモーツァルトのリズムやダイナミクスの複雑な細部に無頓着であり,独唱者もモーツアルトの天才を明らかにする深みや正確さに欠ける粗雑な歌い方だと批判している。その背景には,モーツァルトのオペラは,ロマン派の先駆けではなく,バロック音楽とのつながりがより深いとする,クルレンツィスのモーツァルト観がある。

さて,古楽演奏による「フィガロ」を初めて聴いたのは,ヤーコブス&コンチェルト・ヴァカーレのディスク。フランス革命前夜を思わせる不穏な空気がみなぎり,一触即発の情況が活写されている画期的な録音だった。ボーマルシェの戯曲が持つ「危険思想」が音楽で再現されているように感じ,ウィーンでの初演に許可が下りるまで紆余曲折があったことが納得できる演奏である。それ以来,長らく「フィガロ」」といえば,このアルバムだった。

ところが,クルレンツィスの「フィガロ」を聴いてからというもの,ヤーコブスの演奏さえも「20世紀におけるモーツァルトのオペラ演奏の伝統」にとらわれた,ロマンチックな演奏にきこえてしまう。たしかに,ヤーコブス盤の特徴である革命前夜のただならぬ雰囲気こそ希薄であるが,クルレンツィス盤は,「フィガロ」の演奏史上,「革命的」な録音だ。クルレンツィスの「フィガロ」は,深い憤りをエネルギー源にして展開される音楽である。強い情念に根差すドラマという点で,バロック・オペラの延長線上に位置づけるべきことを示唆しているようだ。

「フィガロ」をバロック風のドラマとして描いてゆく主役はオーケストラ。疾走すると形容したくなるほど速いテンポ。強烈な対比効果を発揮するダイナミクス。全体としては力強さが際立つ鮮烈な演奏だが,ディテールをニュアンス豊かに描いてゆく繊細さも併せ持つ。デフォルメと迫真性が共存する,自由奔放かつ大胆不敵な管弦楽である。

清澄で透明感あふれるノン・ヴィブラート唱法が,こじんまりとした親密な音楽空間をつくりだす。その空間をニュアンスに富んだ劇的な表現で満たすのは,装飾を多用した歌唱スタイルだ。初めのうち,慣れ親しんだアリアが,装飾でデフォルメされたようで違和感を覚えたものの,何度か聴いているうちに抵抗感も解消され,適度な異化効果を伴った表現として耳に馴染むようになる。

ただ,このディスクを繰り返し聴いていると,こうした技術的な事柄は枝葉末節のような気がしてくるのも事実。技術的な次元も含めて,これほど知的な興奮を掻き立てる「フィガロ」を実現させるにあたっては,クルレンツィスの音楽的な才能が圧倒的に大きな比重を占めている,と断言していいのではないだろうか。

これほど安定感があり,フラストレーションを感じさせない「フィガロ」をこれまで聴いたことがない。この演奏のどこをとっても,まさにそうあるべきであるように表現されていて,説得力がごく自然に滲み出てくる。これだけ思い切ったアプローチを採っているにもかかわらず,聴く者をおのずと納得させてしまう音楽的な手腕は驚異的ですらある。

ジモーネ・ケルメスを除くと,名の知られた歌手はいないが,これほどみごとなアンサンブルに仕上げたのも,クルレンツィスの技量に負うところが大きいように思う。セッション・レコーディングに10日以上を費やしたとしても,傑出したリーダー抜きで,この信じがたいほど高い水準の「フィガロ」を完成させることはとうてい不可能だろう。あえて難をいえば,登場人物の描写が単調になりがちな点か。

モーツァルトの音楽そのものに迫り得る音楽的な力量があってはじめて実現可能な「フィガロ」である。それと同時に,そのような試みを許容する環境も不可欠であろう。

革新者が周縁から現れるというのは,やはり正しいようだ。ギリシャやロシアは,ウィーンやミラノ,ロンドンやパリ,ニューヨークと比べても,オペラの中心から離れた辺境といっていい。そして,ロシアでも音楽の中心地であるサンクト・ペテルブルクやモスクワでなく,ウラル山脈の麓でこの「フィガロ」が制作された点が面白い。

ギリシャに生まれロシアで研鑽を積んだクルレンツィス,かつては流刑の地でしかなかった極寒のシベリアで誕生したムジカ・エテルナだからこそ成し遂げた革新。西欧の音楽の都では,このような「フィガロ」が生まれることはなかったように思う。
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