mixiユーザー(id:7303697)

2014年12月22日08:16

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「教養」とは?

記事の筆者は、

> 少なくとも、中学・高校の勉強に関しては私はこう考えているということだ。

つまり、「小学校で習うことは別(役に立つ)」だと言っている。

> という質問を先日の高校での講演会のとき、ある生徒から受けた。

というのだから、質問者は主として「高校での」勉強を想定している可能性があるし、筆者はそこ(初等、中等など)を区別して答えている。
何をもって「役に立つ」かという定義や価値判断の問題もあるけれど、一般論的に解釈すれば「小学校の先の話は、直接的にはめったに役に立たない」ということについては同感だ。

もっとも上記の私の意見の中では「直接的には」という部分がとても重要で本質的なのだが、「誰にとっても社会に出て役に立つ、もしくは必要」な、最大公約数的な知識(極めて限定的に範囲が狭い)なんて小学校くらいで充分網羅してしまう。「その先」にも必要や有用なものは多いけれど、それはあまりに個別的、人によって違いすぎるので、学校教育で一律に学ぶ(教える)のは無理。
でも、「学ぶこと」の意味や「学んだ経験」の意義は、直接的ではないけれどあると思う。


何より、誰だったかエライ人が言った言葉が頭に残る。
「役に立つ知識なんて」大したもんじゃない、だったか、下品なモンだ、だったか、とにかく否定的な言葉が続く。
人間の教養というものは、「それが(直接的に)何かの役に立つ」ものではないからこそ、だからこそそこに意味があり、素敵なんだ、という考え方もたしかにあるんじゃないかと思う。

だからそれを「良い」と思う、「欲しい」と思う、それを持つ人をいいなあ、と思う、そういう感性と価値観を持った人は学べばよいと思うし、ニワトリとタマゴのようだけれど、「学ぶ」「教養」というものについてくる(それによって得られる)ものが「そういう感性と価値観」なのではないかとも感ずるのだ。


「学校の教育は役に立つのか?」と子どもに聞かれたら、大人はどう答えるべきか?
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=77&from=diary&id=3195875
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