沖正弘先生「ヨガ叢書第二巻・生活を正す」(霞ヶ関書房)より。
幸福の存在は感謝するところにある。感謝できるということ、それが幸福をつくり出す心なのです。
謝するためには、お詫びの心がなかったらできません。
生かされている、守られて、与えられて、許されて、他の協力によって、こうして生かされているのだ。私の犠牲になって頂いてまことに申し訳ないことだ、そのご恩返しもせずに済まないことだというお詫びの境地にならなければ、感謝の心もおこってはきません。
ですから感謝と懺悔の心とは一つの心であります。感謝・懺悔の心になってはじめて、すべてのものが尊い存在だということに気がつくことができるからです。
たとえば、自分の心身の異常から解脱しょうと思ったら、第一にこの尊い自分に傷をつけた誤った生活をお詫びするのです。痛いから治りたいではないのです。お詫びする境地から出発すべきなのです。
食べ過ぎたから胃腸が悪い、食べ過ぎというのは殺物罪なのです。他に対しては他のものを無駄に殺した、同時に自分に対しては、尊い身体を傷つけた。まことに済まないという懺悔の気持ちから出発するのです。
のものの尊さを感じ取る能力を失っているということは、他を殺し、他を侮辱していることになるのです。また己を侮辱していることでもあります。
だから、私は、すべてのものにお詫びして、頭を下げて生きていく以外にはない自分だと知ること、頭をいくら下げても、下げ過ぎるということはない、という心のことを下座の心といいます。
自分自身が救われていくには、自分を高めていく以外にはないのです。
身体の健康度を高め、その感じる力を高めていく、真理を自覚する知性を高めていく。それ以外に救われる方法はありません。
ありがたい、すみませんという心が起らないということは心が自然性を失調しているのです。
そして、心が腐っている時には、宇宙は私達に悩みというものを与えて下さいます。
私達は他のものを、自分のための犠牲になって頂くことによって生かされているので、このお蔭に対して、自分の為すべきことは、他のために捧げるということです。この捧げる心を失調しているから、生活がアンバランスになるのです。
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