【山田方谷について】
安岡正篤師(終戦勅語を起草した)が心酔し、
「古代の聖賢は別として、近世の偉人といえば、私はまず山田方谷を想起する。この人のことを知れば知るほど文字通り心酔を覚える」と述べておられた。
そして、越後長岡藩の河井継之助が傾倒し、師と仰いだのは有名です。
東洋の英傑「山田方谷」は幕末の備中津山藩をわずか7年で蘇らせた偉人で、幕末の老中だった板倉勝静に大政奉還の草案をも進言したという陽明学者です。
松山藩は5万石の藩だが、実質は2万石しかなく、借財は積り積って10万両(現在の約600億円)に達して居た。方谷は、確固たる哲学の下、次々と手を打ち、利益は3年にして一万両60十億円)4年目には5万両(300億円)に迫り、わずか7年で藩政改革を成し遂げ、全ての借財を終え、更に10万両の余剰金迄を生み出した。
岡山県高梁に、その人徳をしのんで、日本で唯一人名にちなむ駅、「方谷駅」があり、今でも「山田方谷先生」を人々は尊敬していると言われます。
維新後は、松山藩の存続に力を注いで成功し、新政府からの財務大臣就任の要請を断って、
郷土の子弟教育に晩年は尽力し、明治10年(1877年)73歳で薨去。
【山田方谷・名言】
★ 事を行うにあたっては、その困難さにとらわれて、負けてしまってはいけない。
★ 人として正しさを求めることが大切で、自分自身の利益のみを求めるべきではない。
★ 父と母が私を産み育てて下さった。天は私を覆い、地は私をのせて下さっている。自分が男児であることをよく考えてみなければならない。力なく草木と同じように枯れてしまってよいものであろうか。
★ 学問をするには正直な態度で接する心を持つこと、これが全てである。
★ 学業はあたかも鉄を鍛えるようなものである。ひとたび鍛えはじめたら、決して途中で止めてはいけない。百錬の強さで鍛え抜かなければならない。
★自然の真心に随って財を生み出し国を富ませる事が出来たなら王道であり長続きし、権謀術策によって国を富ませたなら覇道であって長続き出来ない。
★財は天下に広めて巡回させ天下万民の役に立たなければ、真に財を生み出した事にならない。
★ 天地間如何なる大功業も、時に遭ひ運に遭ひ、自然の道義より出づれば、出来ざることなし。(『孟子養気章講義』)
★国家を治むるは、徳に非ざれば不可なり。才智の能く為す所に非ず。(服部膺手記)
★大事を成すは、大義と細謀と、兼ね行はれざれば遂ぐること能はず。(『続資治通鑑綱目講説』)
★名利ノ為ニスル私念ニ出ズレバ、縦令(たとえ)驚天動地ノ功業アルトモ、一己ノ私ヲ為スニ過ギズ」
★友に求めて足らざれば天下に求む。 天下に求めて足らざれば古人に求めよ。
・・・・・方谷の元に修行に来ていた河井継之助に方谷が継之助に贈った言葉のひとつ。
★驚天動地のどんなすばらしい功業、改革も、私のためにやったのではうまくはいかない。
★心中の賊の勢いがなかなか衰えない。そこに天が命じて賊を全て殺してしまえと言う。今、我は胸一杯の鮮血を吐き出したが、これこそ賊を皆殺しにした決戦の血に違いない。
・・・・・山田方谷が道中で大喀血をやった時に詠んだ詩とのこと。
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