これを熱心に読まれているあなたなら、お分かりでしょう。
あなたがエゴを用い考えるのではなく、神に委ねることで、心は軽くなるという、このスピリチュアルの仕組みについてですよ!
新約聖書のヨハネの福音:第1章の第1節から3節まで、まさに冒頭にて次のように述べられています。(ラムサ版英訳聖書、1933年他)
The Word was in the beginning, and that very Word was with God, and God was that Word. The same was in the beginning with God. Everything came to be by his hand; without him not even one thing that was created came to be. The life was in him, and the life is the light men.
『言葉』は、その始まりにこころの内側にありました。すなわちまさに『言葉』は神と同じでした。そして神はその『言葉』でした。同様にこの宇宙の始まりも神によってでした。万物は神の手によって生まれ、神なくして創造されたものは、何ひとつとしてありませんでした。その創造された生命(活力:生物学上の生命)は神の中に存在していました。次にその活力は人類にとって、そのひかり(叡智:神の代理としての意識)となります。
「すべてに神宿る:八百万の神」は、この聖書の言葉からも明らかです。あなたの意識は、神の意識と繋がり、ひとつで同じです。悟りを開くとそれが暴露されます。しかしこれをエゴ(小文字のsで始まるself/小さな自己/自我:マインド;左脳)に理解不可能です。
もしも、万人が、この聖書の言葉を理解出来たら、争いなど起きるはずないということです。しかしこの「すべてに神宿る:八百万の神」を、エゴは認識出来ないため、この世界は、DSやイスラム原理主義者のエゴによって、簡単に人々は支配されてしまうのです。
あなたが「すべてに神宿る:八百万の神」を認識するために必要なのは、左右大脳半球の同期化です。そしてあらゆる生物/非生物に敬意を払い、常に徳を積むには、何をすべきかを意識することです。
意識レベル500を超えたところで、「神に委ねる」必要性について、あなたは「ああ、その通りだ」と気づくでしょう。
「私達は、手放し続け、もっとこころが軽くなり、もっと自由になると、私達は、残念なことに世界の性質が、そのカニの手桶のようであるのと分かります。そしてこのことから、そのネガティブな性質の限界は、明らかになります。私達は、納品リストを手に入れ、完全に気づくようになると、私達が、ネガティブな性質の制約から、自由になりたいという怒りと、強い願望を感じることは、大いにありそうなことです。」(『Transcending the Levels of Consciousness: The Stairway to Enlightenment』106頁より)
『意識マップ』をご覧ください。愛(love)は理性(reason)より上にあります。これは、生存競争ではなく、共栄共存を神はあなたに、すなわち人類に求めているということです。
人類は、「もっとよく」と競い合うことで、現代の途方もないテクノロジーの進化は、間違いなく生存競争の意識が強くあったお陰です。富をもっと、権力をもっと、あるいは領土をもっとといった。『もっと』という欲望によって争いも絶えませんでした。
しかしながら、あなたは、神の代理として人類がすべきことは『共栄共存』であったことにお気づきでしたか?
あなたは、ご自分の能力を、どれほど多くの人々の幸福に寄与し、どれほど多くの人々の生活の質を向上させることこそ、神があなたに求めていることです。あなたの解釈は、ホーキンズ博士の論上を読み、これとは何か違うでしょうか?
実は、他者と競うのではなく、自身の能力を最大限に生かすことで他者に何か貢献できたことこそ、あなたのこころを幸福感で満たします。
『恐怖』の章は終了です
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