mixiユーザー(id:5437811)

2026年09月30日15:56

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私は「複合民族だから民族ではない」とは考えていません。

むしろ歴史上の民族の多くは、様々な文化や人々の交流・融合の中で淘汰と繁栄を形成されてきました。

私が述べているのは、アイヌが単一の血統や単一の起源だけで成立した集団ではなく、続縄文・擦文・オホーツク文化や北方ユーラシア諸集団との交流を経て形成された民族だということです。

一方で、方言もあるアイヌ語という共通言語を基盤とし、カムイ観念や儀礼、ユーカラなどの文化的共通性も存在します。
決定的に違うのは、アイヌの衣装のモレウ(図柄)でこのモレウを見る事でどこのコタンの者かを見極める重要な視点に成ります。

それゆえに、その内部には地域ごとのコタンの歴史や文化の多様性があり、それを「アイヌ」と言う一括して語ると実態を見誤る可能性があるため、【どこのコタンの、いつの時代の話なのか】を明確にする必要があると考えています。

つまり私の考えは、「民族ではない」のではなく、「多様な地域集団から成る複合的な民族」というものです。
関連しての話になります。
コタンで、飢えが続けば他の裕福なコタンに訪ねて行き分けてもらえる時もあれば、分ける事が出来ない場合「トパッミ―」と言う強盗集団に成ったと言う、ユーカラも有ります。
【十勝アイヌと日勝峠を挟んでの平取・サルンクル・アイヌの江戸時代の話】
アイヌの自然観は自然崇拝とシャーマニズム・アミニズムの世界観で、基本は話し合いです。
ココを深く辿る事をします。
カムイと話し合う、理想の世界が見える でも 現実が違う 現実と会わない 葛藤する 破滅的行為をする 沈滞する 平静が戻る 友和の世界が訪ねてくる。
だから葛藤する 破滅的行為をする 沈滞する 事を避けるために自然のカムイと会話し移動を選び幸多き所に移ります。
移動採集の民はだから、自然世界カムイと話し合い語り合い祈り、理想世界へ移動します。
だから、モレウ大地に関して所有概念が無いし必要ではないのです。
ですから、天津の民中央政権を持ち土地所有概念が有る、米造りの民とは対立を避けて移動し続けていました、室町後期から江戸時代までは。
室町から矢羽根の需要と江戸時代に入り毛皮と地下資源(金)シャケと言う資源を松前藩の商人が活用する事で、アイヌの自然観が壊されて、コシャマイン シャクシャイン 国後メナシノ (乱・戦い・蜂起)と言う和人とアイヌの集団の戦いが起き、明治になり静内・新冠に暮らすアイヌを平取等の辺鄙な地に強制移住させアイヌがしない農業をさせる為土地所有させた歴史も有り、その後優生思想の研究の為に北海度各コタンのアイヌの墓から頭骨と副葬品を盗み出した歴史もあり、この歴史背景に日本政府や遺骨・副葬品を盗み出した帝国大学今の国立大学は謝罪と返還と補償行為をして居ません。
この様に歴史的な大罪をした事と向き合う事も必要不可欠です。
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