「お墓は家族のシンボル」松本明子(60) 両親の「墓じまい」めぐる葛藤を吐露…香川から東京へ移設検討も親族が反対
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「今を生きる人の自由」と考えがちなこういう話、でも本当はそうではないことが分かるとどうすべきかが見えてくる。これは結婚や子育ても同じ理屈だということも合わせて知っておく必要がある。
まず「墓」というのはある意味「今、自分がここにいる理由」の象徴であると考えるとどうすべきか?ということは簡単になる。一族は誰が継いで誰が管理すべきか?この状況だと地元に居る親類縁者が墓の管理が出来る状態ならその誰かが「家」を継いでもらってその当主が墓を管理すべきだろう。
順位がどうあれ(長男長女の順番)地元に残っていて管理できる立場にある人に医師がある上に亡くなった人もそこが気に入っていたというのであれば残すべき。それとさっきも書いたように自分が生まれて人生を謳歌しているのは昔から続く人々の命のバトンがあったからということを忘れてはならない。
今よりももっともっと困難で早々に死ぬリスクが高かった何千年、何万年もの歩みの中で本当に死ぬかもしれない危機を何度も何度も乗り越え、子孫に苦労を掛けないようよりよい生活が送れるよう死ぬ思いで努力してきた人々からのバトン。それを人生は自分が思うように生きるものだからという理由で好きにしていいというわけではない。
何世代にも渡る苦労の先で生きる今の人々もまた将来に命のバトンをつなぐための1つの世代でしかない。そう考えると今持っている財産は自分のものではなく未来に生きる人に残すべきものである。それは自分が自由に勝手に使っても良いというものではない。
墓も同じだと考えるとそう簡単に自分の都合で動かすべきでもないだろう。本当に誰も見る人がいなくて墓じまいというならともかくだ。それも墓じまいのような事態になる前に対処しておくべき問題でもある。
なので独身貴族で好き勝手に生きて死ぬとか、何の脈略も無く結婚もしないし子供も作らないというのは大人としての責任を放棄しているのと同じで他の誰かがやることとみんなが思ってしまえばこの国はいずれ滅びる。
全体主義的な考え方は良くないが、個々がもっと思慮に富んだ行いをすべきであり自分の立ち位置が自分だけのモノと言う考えはいけない。
墓の問題ではなく認識の問題。自宅に古い写真が残っているならAIに色を付けさせてみれば良い。明治に、大正に生きた先祖が一気に近くなる。同時にどのような人生を歩んできたのかも調べれば良い。特に戦争を潜り抜けようやくここまで辿り着いたその過程を知れば「自分の人生だから好きに生きれば良い。」とはならないはずだ。
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