ウレシパ・モシリ ― 国津神の民が手繰り寄せ語り直す物語
かつて、この大地には「ウレシパ・モシリ」と呼ばれる世界があつたのです。
互いを育み、育て合い、自然と祖霊と人がひとつの環のように結ばれた大地。
北海道アイヌの民は、その環の中で、風の声を聞き、川の流れを読み、火と語り合いながら森羅万象と共に生きる知恵を受け継いできたのです。
しかし、近代の夜明けとともに、中央から「天津神の論理」が押し寄せてきたのです。
それは、商人資本と国家の軍事が結びつき、土地は国策の名のもとに測量され、区画され、奪われていったのです。
1899年、北海道旧土人保護法が制定される。
名は「保護」とされながら、その実態は
狩猟採集の禁止、農耕の強制、言語と文化の否定で、
尚且つ土地の強制移転という、国津神の民アイヌの繋がる宇宙観を破壊する制度だったのです。
この構造は昭和期まで続き、戦後もなお、土地返還も自治権も認められないまま、
国津神の民アイヌは「日本人化」という名の同化政策の影に置かれ続けたのです。
世界では、ファーストネーションの「オーストラリア:アボリジニ」「ユーロッパフインランド:サーミ」「ニュージーランド:マオリ」が土地権や自治権を獲得し、国家理念に先住民族の世界観を組み込んでいったのです。
しかし日本は、アイヌ・ウチナワ・奄美の国津神の民の声を聞くことなく、天津神の論理を絶対化したまま近代を突き進ん出来ました。
その結果、開拓、軍事拠点化、資源収奪が北海道と沖縄・奄美を覆い、国津神の民の大地は「国策の犠牲地」となったのです。
そして、国家は「平和を敵とする軍産複合体的政策」へと傾き、弱い立場の人々に構造的暴力を繰り返し、やがて二つの世界大戦へと突き進んでいったのです。
だが歴史の中には、光もありました。
依田勉三や鈴木銃太郎のように、アイヌの民と互いを育み育て合う「ウレシパ」の関係を築いた者たちがいたのです。
彼らは土地を奪うのではなく分かち合い、アイヌ文化を否定するのではなく尊重し、国津神アイヌの倫理に寄り添う生き方を選んだのです。
もし、このウレシパ・モシリの世界観が国家の根本理念として尊重されていたなら、日本の近代はまったく別の文明軌道を歩んでいたかもしれないのです。
例えで言えば領土拡張のための戦争は起こらず、資源収奪型の植民地政策も生まれず、超高額な武器を海外に売り渡す軍産複合体は成立せず、国家の発展は「共生・循環・調和」を軸に進んだのです。
そして、日清戦争も、日露戦争も、第一次世界大戦や太平洋戦争も、構造的に発生しなかった可能性があると言えるのです。
この様にウレシパ・モシリは、単なる文化ではなく、戦争を生まない文明の設計図だったのです。
国津神の民アイヌ・沖縄・奄美の世界観は、自然と共に生きる知恵、土地を分かち合う思想、祖霊との連続性、争いを避ける調和の倫理を確りと持つ世界観で。
それは、人間中心主義を超えて、自然崇拝・アニミズム・シャーマニズム・祖霊・人が互いに育み合う「平和生成の宇宙観」です。
今、私たちはその世界観を再び見つめ直す時代にいる事は確かです。
中央の視点だけではなく、東北アラハバキ、北海道アイヌという国津神の民の視点から歴史を手繰り寄せて語り直すことが必要なのです。
それこそが、未来の恒久平和につながる価値を取り戻す道である事は確かです。
ウレシパ・モシリ。
互いに育み育て合う大地。
この思想こそ、国策であるべきだったのです。
そして今こそ、未来のために再び掲げるべき理念なのです。
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