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2026年08月29日04:46

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意識の仕組み(228)手放す(109)プライドその43

あなたは、「どこから来て、何のために生き、そして何処へゆくのか?」を明確にし、日々の生活にて意識して過ごしてゆくことは、天国の門を開けるためにも必要です。誰であれ三週間つづけば、生涯の習慣に出来るそうです。やってみる価値はあると思いますよ顔

さて、無機質な日本国憲法の『自然権』についての続きです。

先日、私と議論をしていた『人権と民主主義を独裁から守る』とプロフィールの冒頭で述べている『トンチンカン』な方に、私は『人権』と『民主主義』を守るための「健全な倫理道徳観念と精神性の基準を教えてください」と問いただします。

彼は「道徳は、あやふやな概念なので『自然権』を守る法の整備が欠かせない」と述べていて、自然権の土台となる道徳の基準たる『自然法』や『ア・プリオリ』を明らかにするよう求めても無視され、議論は平行線のままでした。

彼は、道徳の規準をもたないことを、自ら宣言しているといえます。まさに議論そのものが『トンチンカン』でした・・・ぷっくっくな顔

しかし権利には、必ず義務が生じます。ところが外国籍で生活保護の受給者が、何故か高級外車を所有しているという問題が、よくSNSで取り上げられている通り日本の司法は法を相対的に判断している現状は、日本国憲法に基づく法の判断は、無法状態に陥っているのこと証明してます。

外国籍のそれらの人達は、自然権を行使されるために日本人として求められるべく、納税や労働の義務を何も履行していないので問題なのです。それらの無法者達と同様に『反日』工作に加担する公務員達も、また道徳を無視するため、あらゆる法を無効にし、無職で未納税の外国籍の連中に生活保護費を支払う実例が散見されているのが実状です。

すなわちすべては『自然権』から始まるという理論は、完全なる道徳的相対主義者の発言です。しかしそれを指摘した私の論述を無視することは、日本の法学者と司法関係者は、故意に成文法の基盤となる重要な道徳の規準を無視するのと同じ・・・あせあせ

言い換えると、工作員の主張する『自然権』のコンテクスト(背景/前後関係/情況)には、コンテンツ(内容/中身)が一切なく、単なる言葉遊びに終始しています。またその主張は、本質に触れず、いわば理性の欠点である「木を見て森を見ず」で、袋小路の行き止まり状態にあり、その主張を私にただ押し付けるのみでした。

「実際この人生の様相の展開は、私達の誰もが、こころに決めることが出来るすべてです。そのためこの自己承認は、空想の産物から私達を守ってくれます。これは、『開かれたこころ』の安全性であり、禅宗で『初心者のこころ』と、呼ばれているものです。私達が、開かれ気にかけられた時、私達は、すべてを所有していない事実を認めていること、するとその状況がはっきりしてくるなら、私達は、すでに自分の見解を変化させています。この観点から私達は、自分自身を守っている喪失の原因の痛みに閉じ込められることはありません。」
(『Letting Go: The Pathway to Surrender』151頁より)

意見/見解をもたない!

それは、思考をしない。あなたのこころの内側に浮かんでくるフレーズやイメージの断片に、想像の翼をつけないことです。思考しないことで、あなたはインスピレーションによって生きることが出来ます顔



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