こんにちは、毎月20日は貯めていたWAON POINTを使うとウエルシアで1.5倍お買い物が出来るという事から、毎月欠かさず利用している石井伸之です。
本日は第六小学校学童見守り活動を行い、日中は議会だよりの原稿確認、国立市農光会行事に向けて資料作成、午後6時からは東京国立白うめロータリークラブ理事会、午後7時からは同例会に出席して一日が終わりました。
東京国立白うめロータリークラブの卓話では、三越の専務を務められた方にお越しいただき、演台は「三越創業者の教え」についてです。
三越の創業者は三井高利氏(1622〜1694)で、現在の三重県松坂市で生を受けます。
14歳の時に長兄を頼りに江戸へ向かい、修行を重ねる中で詳細を発揮しました。
このまま江戸で更なる発展が期待されていたところ、松坂に居住している母の面倒を見ていた三男の重俊が亡くなり、28歳の時に松坂へ戻ります。
松坂では江戸での資金を元手に商売を発展させ、巨額の資産を作ったそうです。
50代になり、長兄俊次が突然病死したことから、高利が江戸への商売を再開させ、呉服屋を営むこととなりました。
その際に、幾つかの新たな商法を展開して行きます。
その一つが、諸国商人売りで今で言う卸業の先駆けです。
顧客への商売ではなく、諸国で小売りをする商人に対する商売で、こういった商売は店先で売れ残ったものを諸国で販売する商人へ売るところ、江戸でも売れる商品を小売商人へ販売したそうです。
また、現金掛け値なしという売り方は、今では当たり前ですが、その当時は支払いが盆と暮れのみであり、そこまではつけで販売されていました。
店先(たなさき)売りを行い、これは、その場で小さな単位でも反物を販売するようになりました。
こういった先見の明で三井の越後屋呉服店は急成長を遂げて行きます。
呉服店から両替商も開き、将来の三井銀行となりました。
面白い逸話の中で、大名が豪商にお金を借りるということが日常茶飯事だったそうです。
その中で、返済の見込みが無い大名が千両を借用を申し出た際には、百両を差し上げて事なきを得たという話があります。
特に情報を得る手段として、多くの旅人からの声を大切にしていたという部分は、現在の政治にも繋がるかと思います。
こういった先人の話を聞く機会というのは、非常に有り難く感じました。
これからも歴史から様々な事柄を学びたいと思います。
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