マザー・テレサについて、あなたはどのようなことをご存じでしょうか?
特筆すべきは、死後僅か半年でカトリックの『聖人』に列せられたことかもしれませんね。
彼女は、ホーキンズ博士のスピリチュアルの処女作『Power vs. Force: The Hidden Determinants of Human Behavior』に推薦の言葉を送っています。
それは『[A] beautiful gift of writing… [You] spread joy, love and compassion through what you write. The fruit of these is peace, as you know… / 申し分のない本の贈り物・・・あなたの書いた本を通して、あなたはこころの底からの喜び、愛と、慈悲を放散しています。それらの果実は、あなたがご存じの通り、平和です・・・』というもの。以下引用です。
「『わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたたちにあり、あなたたちのこころが喜びに満たされるためである。』(ヨハネ15-11)
ここで言われている喜びとは、神との一致、神のみ、その姿を現され生きる喜びのことです。神のみその姿を現され、日々の活動をしている時、私達のこころは喜びに満たされているからですよ。
私が喜ぶという時、それは大声で笑うこと、お祭り騒ぎや、バカ騒ぎをしている状態ではありません。それらは真の幸せな状態とは異なります。人は、笑いとかバカ騒ぎで何かをごまかそうとすることがあります。
私にとって幸せというものは、内面的な深い平和を意味しています。それは私達の眼差し、顔、態度、身振り、きびきびした動作などに表されます。
ある時、ひとりの司祭と、人間を神から遠ざける人間関係について話したことがあります。司祭は私に心の中を打ち明けてこう言いました。「マザー、私にとってイエスはすべてのものなのです。ですから私の人生の中には、他のものへの愛情を用いる時間も場所もありません。」
この言葉で、彼が多くの信者を神のところに導いた理由が分かります。この司祭は、神と一致して生きていたのでした。」
(『マザー・テレサ/愛と祈りのことば』渡辺和子訳、PHP文庫、2000年:愛、93頁)より
ここも若干翻訳者の言葉を私は修正しています。原文「神のみ前に生きる」の前はおそらくforwardです。これをホーキンズ博士の著作に照らし合わせると、「その姿を現されて」の意で使われていたため修正しました。また「生活」を「人生」と置き換えています。
ここで「神のみその姿を現され」と「神との一致」を実感する情況とは、神の愛を主観的に認識されるレベルであり、概ねjoy(較正値570)か、bliss(600)のレベル以上に意識が達していることを示しています。
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