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2026年01月10日23:27

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「島田紳助のおかげ」で、関西圏のテレビ番組には無くてはならない存在になったけど。

円広志、大ヒット「夢想花」の現在の印税に岡村隆史がツッコミ「自分は歌ってないのに!?」
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=8627408
円広志(72歳:もうそんな歳になりましたか)がカンテレ「おかべろ」(関西地区ローカル、岡村隆史MC)に出演し、その代名詞的存在のヒット曲「夢想花」の印税について明かした、ですか。「飛んで飛んで」「回って回る」の歌詞で知られ、昭和53(1978)年の『第16回ヤマハポピュラーソングコンテスト』と『第9回世界歌謡祭』(いずれもヤマハ音楽振興会主催)で立て続けにグランプリを獲得し、80万枚規模の大ヒットとなったことで知られる「夢想花」ですが、この曲の大ヒットの後について、番組で「半年後ぐらいに新曲の『愛しのキャリアガール』っていうのを出したんだけど、これはまだちょっと売れた。その次に『LOVE SONG』っていう歌を…。自分の歌を書いてん。それが俺の歌手生命を絶った歌やね」と語ったとか。当時、上京し、印税はあったものの、仕事がなく、酒やパチンコ等で堕落した日々を送っていた中、妻にお金を出すように言ったところ「ない」と言われ、貯金が底をついたことを知り、先に貯金がいくら残っているか知らせるのが筋だとして「いきなり『ない』ってどういうことやねん」と怒ると、妻は「あんたのお金やから、私は何も言わなかった」と泣き出したのだとか。「泣いた顔を初めて見て、『東京、もうやめよう。もう無理。大阪へ帰ろう』って」と、これを機に大阪へ戻ることを決意したとか。
このあたりの状況をWikipedia日本語版であたると、その頃、知り合いのレコード会社の宣伝担当者に「暇つぶしに演歌調の曲を作って」と言われて詞を渡され、約1カ月をかけて作った曲が、のちに森昌子の代表曲の一つとなった「越冬つばめ」だったのだそうで、作曲家としての名義は本名の「篠原義彦」だったとか。その頃、島田紳助との出会い(手紙が来たことがきっかけだったとか)で関西圏中心にバラつき番組への出演が始まり、やしきたかじんや上沼恵美子等との縁も生まれ、「関西圏のテレビ番組には無くてはならない存在」となったようで、島田紳助や上沼恵美子等から弄られるキャラクターとして親しまれ、多数のレギュラー番組を持つようになったとか。
私は東京の人間ですが、関西発の全国ネットの番組で、「円広志」なる人物を見掛けるようになり始めた際、「夢想花」の円広志と同一人物なのか、幾らか疑いを持って見ていました。「夢想花」時代とは風貌もずいぶん違いましたし、トーク力が結構あるその姿に、往時の「円広志」を感じませんでした。また、「越冬つばめ」の作曲家としての名義が異なっていたため、円広志の作品とは知らず、当時、関西出身の人物と認識していなかったため、関西発の番組で見ることに違和感がありました。
記事では、その後の「夢想花」の印税が現在も入っているかとの問に、「当たり前やん。(夢想花を使った)CM、ありますよ。聞いてたらCMで歌ってますわ。それとか他のアーティストが歌ったりとか。きょうも楽屋で、『新しいアーティストが歌うので許可いいですか』って。いろんな人が歌いはるねん」と、さまざまな歌手によるカバーでも人気があることにも言及、額についての問いには、「七、八百万円から一千万円の間ぐらいちゃうか」と答えたとか。
もう48年も前の作品ですが、様々な歌手のカバーが続き、CMでの使用も続いているとなれば、印税は入り続ける訳で、立派な財産になっていると感じます。しかし、「もう72歳とは、」ですし、記事の写真が22年前のものでもあるわけで……。
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