ホーキンズ博士の論述です。
生命が単独で物質から生じ得ない理由は、その必要条件として命あるものとして存在するものは『神のひかりの放射』から創造されるためです。生命として生き続けるためには、繁殖と食糧が必要です。『創造』のアトラクター・パターンは、例えどのように条件が好ましくても、神の実在の潜在的可能性を起動させる際に、三位一体になります(言い換えると、『神の息吹』)。
(『The Eye of the I: From Which Nothing Is Hidden, Chapter 21: Genesis: Creation and Evolution』より)
多くの生物学者や考古学者は、類人猿と人類のつながりを求め、あるいは生命誕生の手掛かりを求め、生涯をかけて研究に没頭します。しかしながら、昨日も述べているように、それを見つけるのは不可能と、博士は明言しています。
繰り返します。博士は、生命の誕生の秘密は、この宇宙の誕生と同様に、人類の能力で発見することは不可能のため、そこに膨大な予算、労力と、時間をかけても・・・と。
さて、写真は、この正月3が日の朝食のメニュー、離婚後20年以上、ほぼ変わらずです。お雑煮のおすましの味は、母の味を完璧に再現をしているものの、お雑煮の具材を含め、それ以外すべて、私のオリジナルです。その理由はコストの問題かと。裕福な山本家の3が日の食卓は、相当豪勢でしたから。
この簡素な品揃えでも、私は、エンドルフィンの分泌をマスターし、ごくごく自然と「足るを知る」なので、十分すぎるほどの満足感と幸福感があります。それを周囲の方々が理解するのは難しいでしょう。普段私の朝食は、たまのパン食以外玄米オンリーです。それもあって私は、普段20分ほどかけ、しっかり30回以上の咀嚼をしています。お正月は、お酒を飲みながらゆえ、その倍は・・・。
ちなみに、お屠蘇は、神棚等を含め祈りの際、私も同時にいただいているので、食卓に載るのは、たいてい清酒、ビールや、ワインです。
昨日は、『グラン・ブルー』(較正値700)を鑑賞しました。私自身も経験した悟りレベルの『スローモーション』の知覚の変化による情景を含め、私は、ほぼ全編で涙なしでは見ることの出来ない作品。
スローモーションは、意識レベル600以上で起き始め700に達するとコミュニケーションが全く困難になると博士の本に書かれていましたが、本当にその間、私も音がなかったことを思い出しました。映画でも、周囲の声が聞こえていない状態を再現していました。シータ波の時は、その集中力がすごすぎて何も聞こえず、700台でコミュニケーション能力を取り戻すには二、三年要すると書かれている通りかと。ラマナ・マハリシが実例ですよ。
ジャック・マイヨールは、深海にいる時、まさに悟りを開いている状態です。しかし地上でそれを再現(ラージャ・ヨーガ)しても、利用できないわけで、その苦悩が彼を終生苦しめることになりました。彼の手元に、ヴィヴェーカーナンダか、ホーキンズ博士の著作があれば、自殺という悲劇的最後ではなく、賢者として認識されたかも知れません・・・。
ログインしてコメントを確認・投稿する