■「平和続いて」「戦争しない国を」=酷暑の中、不戦の祈り―靖国神社など
(時事通信社 - 08月15日 11:02)
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戦争をしないというのは美しい言葉としては素晴らしいと思う。しかし、戦争と言うものはいろいろな「カオ」がありどの戦争も顔つきが違う。だから全部まとめて戦争と括って「やらない」というのは戦後教育とメディアの刷り込みのせいというか罪だと思う。
こういうことを書くとすぐに好戦論者とか過去の戦争を肯定するいかがわしいやつと言うのだがよく分析してもらいたい。
よく「先の大戦の反省」と言っても「何に反省するのか?」ということだ。
一番大事なのは文民統制であり軍部が勝手なことをしないというのがある。
軍は国家の下なのだから勝手な行動や軍内部の論理や権力闘争、一般企業との権益を共有するとかそういうことをやってはいけない。まずは組織としての反省をやらないといけない。しかし、知っての通り日本の組織は過去の軍部のようになる危険性をはらんでおり、この組織の暴走の危険性が起こらない体制を作らないといけない。
そして国民の問題。たとえ軍部が暴走してもその行為が間違っていると思った時点で命がけで反対し日本がおかしい方向に行かないように反旗を翻す勇気を持てるかどうか?だ。
これも長いものに巻かれるとか出る杭は打たれるという事を恐れる日本人特有の触らぬ神に祟りなしの論理で間違っていると思いながらも反対しないという習性が今もなお、存在するからこれも怪しい。
戦争の顔についても問題だ。今のままだとどんな戦争も反対だから相手から侵略されても銃を取らないというのだから攻める方からするとこんなやりやすい相手は居ない。ウクライナを見よ。あれが戦争の本当の姿だ。つまり侵略戦争はしてはいけないが、国防戦争は国民の義務として戦い抜かなければならない。
その国防という言葉の定義も必要になる。侵略して得た領土も自国領土としてしまうとそれも「国防」の一環となるから現在の領土がどこからどこまでかをきちんと書く必要がある。当然、竹島や北方領土のようなところは国防戦争という観点からすると相手が話し合いで返さないなら力づくで取り返さなければならない。
それが国際的な標準的な国防だ。
当然相手はプロパガンダや外交工作を仕掛けて日本が悪いという印象を与えようとする。しかし、それは日本も政治と外務がちゃんと仕事してそうならないよう様々な工作が必要になる。昔の日本はそういうのは得意だったが戦争に負けた(負ける戦争をあえてしたために)外交も何も骨抜きになってしまっている。これではダメだ。
一括りに戦争と言っても今から攻めてくる相手にまで不戦の決意を示して引き下がるわけがない。竹島が韓国に不法占拠されている状況を見れば分かる通り力には力で対抗しないといけないのが現状だ。
そのようなことのない平和な世の中を願っても相手がそんな気がない。反日教育で根底に憎悪があるような国民には警戒の目を向けておかなければならない。
日本などはそのような教育をしていないのに中・韓国は日本を仮想敵国にしている。
これも現実だ。
平和が大事だという事は分かっている。しかし、泥棒が居なくなる世の中を願っても皆が良識人で争いが起こらないと言っても相手はそう思っていないのだから泥棒に丸腰で握手を求めるようなもので危険極まりない。
そのような理想ばかり言って現実を見ない者はいずれ国を亡ぼす。ウクライナはそうなりたくなくて必死で戦っている。日本はどうする?
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