私にとって、なんと言っても重要な人生の分岐点は、30年前にさかのぼります。転機は、何億も稼ぎ、すべてを思いのままに使った父の予期せぬ死でした。
父の生きざまを目の当たりにした私は、マテリアル(物質世界)を追求することを人生の中心に据えることをやめ、本格的にスピリチュアル(精神世界)の探求を始めました。
第三者に寄与する目的もなく、積み上げられた資産は、ただむなしいものであることは、私自身も父の死後、それほど経ず実体験させられます。私は、ますます他者の幸福や生活の質の向上に寄与することこそ、自分自身の幸福であることを確信するのです。
しかし、母の存命中は、愛する母の求める「いい子」を全く達成できない自分を私は責め、罪の意識や恥のみならず、200未満のすべてのネガティブな感情を払しょくできずにいました。
さて私にとって、昨日挙げた偉大な思想家達の論述の多くについて、聖書や仏教経典のスピリチュアルの真実と完全に一致する箇所にこそ、あなたは注目すべきです。
私は、座禅を始め、哲学や宗教関係の本をむさぼるように読み始めると、間もなく人は意識レベル700に達すると、この宇宙のあらゆるものと自分の意識が浸透していて一体であることに気づくことを、私自身改めて気づかされます。
「そうだよ、そうに決まっている」と。何故なら、理論物理学の「ひとつのものは他のものとつながっていて、ひとつで同じもの」だと、私は思いだしました。
自他の分離、主体と客体の分離は、完全に幻想であることに気づかされる訳です。主体と客体の分離は幻想であるというのは、2015年にアインシュタインが1909年に提唱した『非局所性理論』の実証実験の完璧な再現の成功により証明されました。
すなわち、この宇宙は、粒子で埋め尽くされていて、中心も、周辺も、隔たりもなく、「ひとつのものは他のすべてのものと繋がっていて、ひとつで同じも」であることが証明されたのですよ。
「あなたと私の分離は幻想」と「神と人の分離は幻想」という知識を、すでに私はもっていましたし、主観的にその通りだとの認識を若い頃から持っていたことからの気づきでした。
そういう訳で、私は、西田幾多郎博士の『主客相没』に感動したのです!!!
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