■「毎日が戦場だった」学級崩壊したクラスの担任代理を務めた小学校教員のエピソードが話題に トラブルで保護者へ謝罪、教頭先生の言葉に救われた
(まいどなニュース - 06月12日 07:00)
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これも何度も書いていますが親も親なら教師も教師だろうと思う。
共通するワードとしては信頼感とか不信感。相反する言葉ではあるが長年の不可解な言動からこのような事態になったと思う。
「先生も親も共通の価値観を持っていない。」
昔は(50年前)の先生と親との関係は先生も兄弟姉妹も多く、自分が半分子育てしたような時期もあったから子供の扱いに慣れている面があった。だから先生も親の代わりのような存在だったし、その子供の扱いも親と共通する認識があったからトラブルも少なかった。
「ウチの子供が学校で悪いことしたらハリ倒して良いですから。」
それは殆どの家で言われていたことだし、先生もそれに対してどう扱えばいいのかも分かっていた。今では考えられないが私は学校では反面教師の役割でしょっちゅう先生に怒られていたから「アイツまた学校で怒られたよ」と家では言われていたでしょう。
それに対して親は
「そんなふうになったらダメよ。」
と言っていたに違いない。学校で悪い子がいることでやってはいけないことを実地で示すことはないに越したことはないがあっても良いと思う。
それと先生は昔、責任感を持って教育に臨んでいた。
若い先生は親から子供のことを託されたと思い意気揚々と取り組んでいた。
悪いことをしたら体罰を加えて良いという親の言葉は
「先生に任せます」というある種の指導の依頼なわけでぶん殴っても良いという額面通りに受け取るのもおかしい。昔はそういうことは先生も親も分かっていたから厳しさと言う共通の認識の元、どこまでやっていいかの分別はあった。
だから平手打ちやゲンコツを食らっても自分がわるいことをしたという認識があったから「まぁ、こうなっても当然だわな」というおぼろげな認識は自分にもあった。
「オレはオマエの親から託されているんだからな!」
そういうことを怒られている最中に言われたことを覚えている。昔は四面楚歌で困ったなぁという意識もあったが今思い出せば先生も責任感が強く、親も先生を信頼し、共通の認識の元、「体罰」は存在していたと思うし一定の役割があった。
しかし、今は、先生の間隔もズレている人も多く、先生がいじめをしているのではないか?という例もあり、「暗黙の了解」とか「共通の常識」というものが「多様化」という美辞麗句で覆い隠されてしまい、その負の側面をあまり語ろうとしない。
そんな中で先生に対する不信からモンスターペアレンツを生み(始めからおかしい親もいるが)、委縮した教育現場がより子供に甘くなり、それにツケ込んだ子供がしたい放題やって学級崩壊。怒ろうにも親の対応が気になって出来なくてすべき指導を怠った結果、そういう子供が大人になっていく。
そしてますますおかしな親、先生が世の中に出回りさらにおかしな方向に行く。
こういう事態はすでに20年前から言われていて体罰といじめ、子供の自殺が注目されるとマスコミ沙汰にまで発展し、そのマスコミも伝え方に問題があるから体罰=悪という事しか言わない。それは表面的なことでありやるべきことはズレてしまった常識とか良識をどう取り戻すか?ということであり、先生が悪い、親が神経質というところで話が終わってしまうから問題の解決にならない。
こうなった以上は国民が意見を出し合い、その良識とか常識というものを深めて確定していくことが必要になる。多様化しても不変的なものはあるはずで、人殺し、盗人がいけないとか、これは100%誰が見ても分かるが、転売がいけないというところになると良いという人も居るが、悪質さがどこからか?というような線引きは多様化で人それぞれになってしまっている。これは例えだがそれ以外にも曖昧なところがある。
外国人が落とした財布が日本だと必ず戻って来ると言っているがウチの甥は落とした財布の中身を抜き取られ財布だけ地面に落ちていたことがある。昔からすべての落し物が警察に届けられていたわけではないだろうが、そういうところも最近では盗む日本人も増えている気がする。それも常識や良識の範疇に入るだろう。これは分かりやすいがもっと細かいところある。エスカレーターの話、あれは整然と並んで上がった方が効率的とことあるごとにマスコミが特集しているが、そればかりで他の常識や良識についての言及はほとんどない。路上での立ち飲みも、ゴミの放置も。こういうことの積み重ねの方が教育には大事だと思う。その辺の共通認識にズレがあるから不信感を呼んでいる。
特に男の先生は真面目にやっている人が可哀そうになる。ロリコンの変態が女児を求めて先生になろうとする不逞な輩のせいで風当たりが強い。真面目にやっていてもちょっとしたことで疑われる。それも自分さえ良ければ良いという自分の趣味のために教師になろうとするものがいるから発生する問題でこれなんかも親の不信感の元になっている。
そのような不貞な輩が教師になろうとするときにどうにかしてそういう人を排除できないか?とも思う。ウチの小学校でもグレーな教師がいるようで子供からいろいろ聞かされるが子供も嫌いと思えばあることないこと言うこともあるから全部が全部信用するのもどうかと思うが先生の間でもそういう問題を持ち込んでも対処しづらいということもあり結局のところある程度問題行為が発覚しないと動けないという問題も自分が親と言う立場で居ながら直面していることもある。
新たなもんだが浮上し、学校と家との間で不信感が増大すれば良いことにならないので学校で教えるべき、道徳、それの素地となるべく日本全体の良識、常識の復活、これがないと根本的な解決にはならない。学級崩壊は表面的なことでしかなく見つめるところが違う。
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