長嶋茂雄さん死去、巨人軍オーナー「志は、後輩たちが確実に受け継いで」 コメント全文
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「長嶋茂雄、亡くなる」。昼のNHKラジオニュースで知りました。番組冒頭、「全国のニュースを0時25分(通常より10分長い)までお伝えします」とコールがあったので、何があったのだろうと思っていると、この訃報が流れました。選手としても、監督としても、日本の野球人としてそのエピソードや話題など、他に類を見ないほどに豊富な人で、選手として17シーズンで8094打数2471安打(打率.305)、444本塁打、1522打点
https://npb.jp/bis/players/81983806.html
、監督として15シーズンで1034勝889敗(勝率.538)、リーグ優勝5回(うち日本シリーズ制覇2回)、2位3回、3位4回、4位、5位、6位が1回ずつという成績以上に、良きにつけ悪しきにつけ、あらゆる場面で強い印象を残した人という認識があります。物心ついた頃がON砲中心の巨人V9時代であり、同居していた父方の祖父が大の長嶋茂雄ファンで、巨人が負けた時や長嶋茂雄が打てなかった日は不機嫌だったのが記憶にあります。
昭和49年、川上哲治監督時代の巨人がリーグ優勝を逸して「V9」に終わり、「我が巨人軍は永久に不滅です」の言葉とともに現役を引退、翌年にいきなり次期監督となって最下位(47勝76敗7引き分け、勝率.382)に終わり、50年を経た今もなお「巨人唯一の最下位」として記録に残るのが“監督デビュー”で、翌年に張本勲や加藤初などの補強でリーグ優勝を果たし(翌年もリーグ優勝)たのが「第一次長嶋茂雄監督時代」のハイライトですが、昭和53〜54年の「江川卓騒動」でイメージを下げ、当時、私も本格的に「アンチ巨人」となりました。
平成5年、巨人は再度長嶋茂雄監督の時代となりましたが、その時代に讀賣新聞のナベツネこと渡邉恒雄が球団のオーナーとなり、その「独裁」とも呼ばれたほどのチーム運営や戦力獲得などの動きの中で、監督として、言わば「車の両輪」というべき存在だったのが当時の長嶋茂雄の印象でした。
脳梗塞に倒れたのが平成16年で、それから21年、安倍晋三首相(第2次)の時代に国民栄誉賞を受賞したり、文化勲章を受賞したりもありましたが、当時68歳で、そんな年齢であのような重度の脳梗塞になったのかと思うと、なんか怖いなと感じます。
午前6時39分、「肺炎のため」都内の病院で亡くなったとか。昭和11年2月20日生まれなので、享年89。昨年亡くなった渡邉恒雄に「喚ばれた」のかなと、まず感じました。合掌。
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