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2025年06月02日03:53

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この世は幻影

私は、入社10年目の頃から、すなわちバブルの崩壊後のあたりから、社会貢献とは裏腹の保険会社の姿勢により、この会社にずっといるのは、人生に何のポジティブなものも残せないと判断していました。

平日に、何かの用で実家にゆくと、10年ほど日本火災にいた父は「お前が、働けば働くほど、上司は喜ぶけど、お前には何の得にもならないよ。」と保険会社での立ち回り方を、暗に教えてくれました。

それは周囲を見渡せば、私にもわかります。

例えばある事故で、その被害者は、S系の暴力団幹部であると分かっていても、上司は、私を確信的に、ひとりで被害者との交渉に向かわせます。私は、6時間も軟禁され、恫喝され続け、話の通じないことに疲れた私は、規定通りの保険金を上回る示談をします。すると上司は、私の手から受け取った支払い書類の一式を、平然と目を通すも、承認の印鑑を押さず、彼は、即座に支払い担当者に「これで支払って」と指示をするのでした。

これは、上司の責任逃れの行為であり、私に全責任を負わすといった、そんな情景は、日常的な職場でしたからね。

正義感が強く、誠実さ一辺倒の私は、どの部署でも煙たがられ、うとまれていました。

このころ私は、小学生になりたての頃に受け取った「大人達は、間違った生き方をしている。僕が正しい生き方を教えてあげるんだ」というインスピレーションのことなど、すっかり忘れていました。

私にとって最も重要な啓示を忘れていたものの、私はここ保険会社の職場に自分がいることへの違和感はピークに達していたのです。

例えば、般若心経などにある通り、実際に、この世は幻影なら、あなたは立身出世や金持ちになることも幻影です。あなたは、ただ幻影を追いかけているのみです。そのことに気づいていた私は、両親のいう「いい子」に反発していました。何故なら、そのような幻影を追い求める人生では、決して幸せになれないためです。当然ながら、両親も、また幼い頃から反発していた私を疎んじていた訳です。

その当時、妻に対しても、職場の現状を話し、このままでは人生が台無しになるから、人のために役立つ仕事をしたいと相談をしていたものです。

そしてついに、2003年の秋、妻も合意の上で、土浦において塾経営の第一歩を踏み出しました。

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