1970年万博に登場した「人間洗濯機」が半世紀を経て再び、当時10歳の少年が夢見た「ミライへの高鳴り」55年の軌跡
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未来的なものを言う時にいつも自動何某とか言って便利を強調するが基本的に人間は何万年もの間、野生で生活し、頭を使い生き延びてきた。だから「人間らしい生き方」をするとなるとこのような意味不明な自動何某を作って自慢するのではなくいかに体全体を動かして、頭を使って生きるか?ということをテーマにした方がよっぽど為になる。
家事は体全体を動かし、頭を使って行う人間らしい営みだが、多くのものが自動化されだんだん頭も体も使わないことがスマートになっている。時短の仕方も頭を使えば可能なことはたくさんあるがそれもやらない。そして家事を疎かにするくせにジムやランニングをして体を鍛えているという・・・体全体を使う家事は体幹が自然と鍛えられる。そんなジムに通う時間とカネがあるなら家事をやれば良い話で、体を鍛える時間を作るために家事の時間を削るのは本末転倒だろう。ジムに行っている間、走っている間にどれだけ頭を使うか知らないが少なくともマルチタスクでこなす家事は頭もフル回転だ。体を動かしながら頭も回転させる。これ以上、効率の良いものはない。家事はそもそも誰かにやってもらうものという意識が強いから億劫になるわけで頭の体操、エクササイズとして考えればそれほど面倒なものでもない。昔の女性が長生きなのは家事のプロだったことに他ならず、老化に対しても良い効果があると思う。家事のマルチタスク化は仕事に生かせる部分が多く、本を読んだり、啓もう活動に参加するより実践で物事をやりくりすることを体験から学べるのでこれほど良いものはない。気が付かないだけで今の人は意味無いことにカネと時間と労力を掛け過ぎだ。時間が無いからこそ掃除や洗濯をどう効率よくやって時間を節約できるかを考えることは非常に頭を使う。この頭を使うという本質は計算を早くするとか漢字を多く知っているとかいうこととは別のことでどちらかと言うとこのような頭の回転こそが仕事でも要求される。
むしろそういうことを掘り下げた方が人のためになる。万博と言っても何か便利なもの、未来的なものを意識し過ぎてに人間の本質を語ることを忘れている気がする。
自動人間洗濯機など愚の骨頂だろう。いかに早く、効率よく洗って風呂から出て有意義な時間を見つけるか?そのような体を洗う行為も頭と体を使う。人間洗濯機だとボーっと寝ているだけで終ってしまう。同じ15分でもその価値の差は歴然だ。毎日の積み重ねが人を磨くことは今も昔も変わらない。
自動人間洗濯機は便利かもしれないが逆に言うと「人間劣化促進機」とも言える。
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