天国へ行きたい!
地獄に落ちたくない!
金持ちになりたい!
それら、すべて欲望であることに、あなたはお気づきでしょうか?
先日お話しした某国で洗礼を受けたクリスチャンの親子は、『原罪』を叩き込まれ、「地獄にゆきたくなければ困っている人を救いなさい」と、自分が生活に困窮していても人助けをしようと必死です。
まさに、このクリスチャンの親子は、カルト洗脳されている訳です。
ホーキンズ博士は、「誰にも罪はありません。あるのは無智だけです」というブッダの言葉を再三紹介しています。
『ア・コース・イン・ミラクルズ(奇跡の講座)』の365日分のレッスンの多くに「誰にも罪はない」という言葉は、何回も登場します。
この『ア・コース・イン・ミラクルズ』のレッスンの特徴として、大多数のキリスト教徒にとって恐怖の種である『原罪』の意識を解消することを目的のひとつにしています。
罪があるというのは、自他ともにあなたが裁くことで生じます。
それは『愛』とは反対であると、『ア・コース・イン・ミラクルズ』のレッスン352では、次のように述べています。
原典:Judgment and love are opposites. From one
Come all the sorrows of the world. But from
The other comes the peace of God Himself.
私訳:裁きとは愛から離れた正反対のものである。
一方からは世界の悲しみのすべてが生じる。
もう一方からは、神ご自身の平安が訪れる。
Forgiveness looks on sinlessness alone, and judges not. Through this I come to You. Judgment will bind my eyes and make me blind. Yet love, reflected in forgiveness here, reminds me You have given me a way to find Your peace again. I am redeemed when I elect to follow in this way. You have not left me comfortless. I have within me both the memory of You, and One Who leads me to it. Father, I would hear Your Voice and find Your peace today. For I would love my own Identity, and find in It the memory of You.
赦しは、それのみで罪のない性質とみなし、さらに裁きません。これを通して、私はあなたのところへ参ります。裁きは私の目を釘付けし、盲目にします。それでも、この世界で、赦しの愛を映し出し、偉大なるあなたが再び、平安を見つける道を教えてくださったことを、私に思い出させてくれます。この道のあとに続くことを決めたとき、私は救われます。あなたは、私を慰めのないままにはしませんでした。私はこころの中に、偉大なるあなたと、私をそこまで導く方の両者の記憶があります。父なる神よ、私は偉大なるあなたのお声を聞き、今日、あなたのこころ穏やかな平和を見つけることでしょう。私は自分自身の偉大なるアイデンティティを愛し、あなたの記憶を、その中に見つけ出すことでしょう。
『A Course In Miracles, Lesson 352』より
この365日のコースは、後にコロンビア大学の医学博士になるヘレン・シャックマン女史が、講師の時、突然内なる声による自動書記がはじまりました。
その声は、「私は、イエス・キリストである。2千年前の言い残したことがあり、それをこれから言う」というものでした。
神との分離の否定を中心に、人類が神から授かったものは、『愛』のみであり、人類の本当の姿に戻るよう設計された365日の講座は、7年にもおよぶ自動書記から、ヘレンの個人的問題を除いて編集されたもので、1975年に公表されました。
レッスン78前後まで進むと、それまでキネシオロジーにて、ネガティブな反応を示していた蛍光灯、殺虫剤や、人工甘味料などは、ポジティブな反応を示すようになります。
この現象をホーキンズ博士は、「自分の意識に責任を持てるようになるため」と述べています。
すなわち、この世で起きることは、すべて自分の意識によるという責任感が芽生えるということです。
ここで、欲望のレベルは、違うパラダイムに移ったと言えますね。
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