今年最後の夕日を自室から眺めている。
数年前までは、その年最後の夕日はビッグサイトで見ることが多かった。コミケだね。
コロナ以降、コミケは敷居が高くなり、ご無沙汰したまんまだ。
16時にコミケ閉会、最後の夕日を眺め、そこから川口のマイミク邸、またはアンチクリスマスという名の忘年会に、って年もあった。
いま振り返ると、けっこう贅沢だったな、と、つくづく思う。
今年は忘年会も飲み会も…って、そのふたつは同じかw なにしろ予定一つなかったから。
きのう、カーチャンが退院、迎えに行ってきた。クリスマスイブに手術だったのよ。
まあ、そんな年末なので、予定の立てようもなかったんだけど。
きのうの夜、これなら大晦日は出かけることも可能だな、と思いつつも、飲み会の企画をイチから立ち上げる気力は残ってなかった。振り返って、アンクリが「贅沢」と思うのはその点にある。よかったら来いよ、と声がかかってて、社交辞令でなく、いい意味で「行けたら行く」集まり。数年前に廃止になっちゃったんだけどね。
忘年会とは別に、漠然とした「アキバ欲」の高まりもあるんだけど、実際、秋葉原に出ても、もう行く場所がないというか、用がないというか……。十年も前から同じようなこと言ってるけど、いま思えば十年前はまだマシだった。
いまはホント壊滅的。おれらのホーム、聖地、趣都だった秋葉原だが、いまの秋葉原はその跡地でしかない。輝かしくも懐かしいあの頃の残り香を未練たらしく嗅ぎに行ってるに過ぎない。その残り香も薄くなる一方だ。
それなのに「アキバ欲」だけは、漠然とある。
魂に刻まれた業なのだろう…。(厨ニのポーズ)
しかしそれは秋葉原に出向いても満たされることはなく、満たされぬ渇望が我を苛む(厨ニのポーズその2)
つまり、またには出かけてーな、って話だ(ぶっちゃけたw)
2024年は、母の通院・入院、それを支えるための仕事と家事で構成されていた。
肺がん、がんの脳への転移、ステージ4宣告、脳腫瘍が原因で身体のマヒと認知症、施設への入所、骨折、退所して自宅介護、大動脈瘤。この間、入院が6回、通院は…たくさん。
物理的に一番しんどかった頃の話だが、一日の中で最大のリラックスタイムは、会社での昼休みだった。帰宅は第二の仕事の始まりでしかなかった。
精神的に一番しんどかったのは……
マヒと認知症が進む母を病院に連れていく途中、母がおなかがすいたと言い出した。施設の食事はひどいものらしく、なにか食べたいと。田舎の県道ゆえ、選択肢は多くなく、見えてきた王将にクルマを入れた。駐車場から介助しつつ入口に向かう途中、本格的に歩けなくなった。半ば背負うように入り、母はヤキソバを頼んだ。食が細くなっていた母はすべてを食べきれず、ご馳走様とおれに皿を差し出した。食べてみると、ムダに油にまみれた不味いヤキソバだった。このままいくと、もう外食なんて出来ないかもしれない。これが生涯最後の外食かもしれない。それがこんなに不味い油まみれのヤキソバなのか…
あの時感じた悲しみは今も鮮烈に焼き付いている。
病院に連れて行けば駅だと誤認し、自分がどこにいるかもわからず、仕事から帰れば、皿が割れていたり、グリルの中で魚が炭になり換気扇のフィルターが漆黒になっていたり、あれはホント火事になってなくてよかった。
仕事から家路につくのは、ある意味怖かった。家ではどうなっているのか、知るのも怖いが知らずにいるのはもっと怖い。無事なのかっ、と焦燥感が募る。
ある日、帰宅すると、母が廊下で倒れていて、二階にいるはずの息子に助けを求め続けていた……、当の息子のおれは仕事で不在、二階になどいない、帰宅したおれに「何度も呼んだのに」と。
胸が締め付けられる。暗澹、目の前とこれからの展望が暗く閉ざされていく…
あれから一年余り。
苦難を超えて今日に至る。
肺がん、片肺の一部を切除。いまのところ再発の予兆もなし。
脳腫瘍、特殊な放射線治療でいまは消滅。再発したが再照射で再消滅。要観察
認知症、脳腫瘍の消滅とともに改善。物忘れ、物覚えの悪さは年相応レベル。
身体マヒ、これも脳腫瘍消滅とともに改善。ただ、落ちた体力は戻っていない。
大動脈瘤、パイプを踏め込む手術により、破裂の危機は回避。昨日退院
すっかり体力は落ち、できないことも多くなったが、いまは家でフツーに近い暮らしを送れている。
おれ自身が「ああ、出かけたいなあ」と思えるくらいには。
以前はそんな発想さえ湧かなかったのだから。
この一年、たいへんだったけど、本当に良くなった。健康の回復と日常の復興
来年は温泉旅行に行かせたい。おれは通院付添いで有給を使い込んでいるので、母とその友人で行ってもらい、送迎だけする計画だ。
おれ自身も、おまいらと一杯飲みたいよ。きっとうまい酒が飲める。
そんときはよろしくな。
ログインしてコメントを確認・投稿する