■ノーベル平和賞に「日本被団協」 世界が評価した「核のタブー」とは?【サンデーモーニング】
(TBS NEWS DIG - 10月13日 16:28)
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私は申し訳ないけど、日本の敗戦についても、特攻についても、原爆についても言葉が足らないことがあるといつも思っている。
当時、戦争を支持した人はもう皆存命でないし、当時子供だった人は大人に従うしかなかったからどうにもならなかった仕方が無いのだが、開戦時、大人だった人々はテレビのインタビューなどで口をそろえて言っていたのは「ああいう時代だったからねぇ」だった。
それは申し訳ないけど他人事で、当時一部の好戦派や極右が扇動したとはいえ、多くの人はアメリカと戦争やっても勝てないと思っていた。それは軍内部の上層部も同じ認識だった。
しかし、一部の国民は軍の煮え切らない態度に腰抜けとか言って、メディアもラジオと言う当時最新の通信機器に新聞の売れ行きが取られ始めていたのを挽回するために国民を煽るような記事をたくさん書いたというのもあったが、冷静な対応が出来なかった。煽りが煽りを呼ぶ相乗効果で誰も止められなくなった末の開戦だったが、悲惨な本土攻撃が行われてからも止めるタイミングはあったが出来なかった。多くの都市が銃弾爆撃で破壊され最終的に原爆の投下に至った。この戦争を止めたのは昭和天皇の英断だった。
もしそれが成されなければ日本はもっと悲惨な地上戦に加え、核爆弾を投下されたであろう。その根源はどこにあるのか?日本人の「長いものに巻かれる」「人と違うことを言うと何をされるか分からない」「自分が言うことではない」という意識だ。
逆に今は天皇制ではないので天皇が戦争を止めることはできない。
しかし、日本人の習性は変わっていない。同じようなことが起きた時に命を賭して無謀な戦争を止める「勇気」があるかどうかだ?
今度は難しい判断を迫られる。太平洋戦争は植民地を拡大するという目的で中国や他の国の植民地を侵略したという後ろめたさがあるから止めようと思えば止められたが今度はどんなケースになるか分からない。戦争を継続すべきか、止めるべきかの判断は国民一人一人の考えに掛かっている。もしその時に長いものに巻かれて、自分が違う意見を言ったことで自分が酷い目に遭うのが嫌だから黙っておこうとなった時に後になって「ああいう時代だったからねぇ」と言わないで貰いたい。
今、ロシアを見ていればよく分かる。反対するものもいるけど長いものに巻かれている状態だ。ウクライナを侵略し罪なき人々を殺してもダンマリを決め込んでいる。80年前の日本を見ているようだ。アレが正しいと思うだろうか?
同じことを問われることが日本にないはずはない。
なので原爆の被害を語る前に「日本人の他人ごと主義、勇気の無さ」を「反省した上で」原爆の不使用、人道上の問題と言うべきである。いつも主語が掛けているのが先の戦争を語る時の傾向だ。
「もうこれ以上は無理と思った時に反対する勇気」を持つか持たないか?
結局、当時軍部も政治も情勢判断を見誤っていたが、それを修正するための勇気を持てなかったこともある。
今度起こる台湾をめぐる情勢は当時より難しい判断を迫られる。
台湾がやられても日本には関係ないから静観するのか?アメリカと一緒になって台湾を防衛するのか?アメリカと話し合って二か国とも静観するのか?中国に平和的な統一をさせるために平和的に浸食されていく台湾を傍観していくのか?
どういう結果になろうとも今度は国民一人一人が決意し、殺されても異議を唱える勇気を持てるのか?どう転んでもそういう勇気がどんな時も必要なのだという心を持つべきだと思う。
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