なぜ日本のマンガは、次々に「メガヒット」するのか
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漫画が多様なテーマで描かれ、世に発信する仕組みが古くから残る「もちこみ」という文化だろう。漫画は「芸術」と言う観点から見ると端の方に存在するもので陶芸や絵画などに比べるとやはり中心ではなく隅の方の存在。
それはまったく悪いことではない。なぜなら高尚なものにしてしまうとどこかの芸術大学を出てないととか賞をいくつも取っていないと有名にならないとか、芸術関係者の論理で固まった人々の支持が無いと有名になれない、そういう「お墨付き」があれば人々は飛びつく、みたいなところからは外れている。だから良い。
なので、裾野が広ければというのは正解で今でも漫画の応募は「誰でもOK」であり自分で「持ち込み」という文化が核になっていること。私も若い頃は漫画家を目指した口だが、どこの出版社もお願いすれば時間を取ってくれて見てくれました。ちゃんとアドバイスもしてくれるしそういうことが素人の若者にちゃんと向き合ってくれるというのは今も大きな武器だと思う。
なので業界的な論理とかそういうのに染まって欲しくないのが漫画の世界でどんな時代になっても「落書きの面白さ」を基礎に話を面白くする構造を維持して欲しい。
そういう点ではある意味編集社のその時々の思惑と世相とマッチした作風が選ばれるので素人がそこまでマーケティングして描いているとは思えないが、「運」もあると思う。
編集の人々の琴線に触れる作品がどういうものかは個人によっても違うのでたまたま見てくれた人と思考がマッチすれば、取り上げてくれるということはあると思う。
その上で編集部内の経験法則とプロモーションがマッチした時初めて軌道になるというプロセスに入るのだろうと思う。鬼滅の刃も元々の話はユシロウとタマヨの話だったがそこを改造してあの話に作り上げたのは作者の努力もあるが編集部内の経験法則とプロモーションだろう。「過狩り狩り」(だったけ?)には鬼殺隊も居なければ、鬼もいない。原形があるのはユシロウとタマヨだけだ。アレが鬼滅のや刃に化けるのだから全く別物になる。編集社の人々が何に魅力を感じて持ち上げたのかは分からないが、そこには経験法則に掛かる何かがあった言えるだろう。そういう点では漫画を深く愛している人々が関わって果てにここまでの大ヒットがあったのだと思う。
それは何においてもどんな画力であろうが、年齢であろうが、敷居を設けず受け入れる土壌が成せたことだと思う。
一方で漫画家は使い捨てのような位置づけであることはこれも昔からの「伝統」だ。売れなければ切り捨て。代わりはいくらでもいるという論理が、後がない状態を漫画家に負担を負わせ、休みの睡眠のなくこき使わされ、命を削らせる。漫画家が病死するニュースは一年の間にも何度も聞くニュースでもある。
そういう状態を改善することは昨今の労働環境の改善に機運にも合致し、魅力的な作家を無駄死にさせない取り組みも必要になって来るだろうと思う。
それには分業制を導入し、絵が上手いけど話を書くのが下手の人は作画に専念してもらって建物や物体を描くのが上手い人、背景効果をする人など分業化し、チームで漫画を作る仕組みにしないといけないと思う。漫画家はキャラ絵と作話に徹し、余計なところに時間を割かないようにして余暇と睡眠を確保するような体制が求められる。そうすれば作画で食っていける人も出てくるだろうし、更に裾野が広がると思う。
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