鳥山明さん3月1日死去、68歳 急性硬膜下血腫で「Dr.スランプ」「ドラゴンボール」など
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死因は「急性硬膜下血腫」です。
これはほとんどの場合、かなり激しい衝撃が頭部に加わった場合に起こるそうです。
加齢によるものもあるそうですが。
つまり激しく頭をぶつけるようなこと、どこかで転んで頭を打ったとか、交通事故のような場合、あるいは転落して頭部を強打するとかです。
不慮の事故なら自宅で転倒とか交通事故とか説明が入るはずですが、この場合、死因が書かれているだけでなぜそうなったのかが掛かれていません。自死が疑われますね。
うがった見方かも知れませんが、漫画家が亡くなるケースが最近多く見受けられます。
何度も書いていますが漫画家は個人事業主で自分の活躍以外に収入はありません。
農業やアーティストや投資家などもそういった類です。彼の場合、印税でカネには困らないはずですがやはり作家として人生を振り返った時に「長期連載さえなければ」という思いはあったのではないか?と思う。
ドラゴンボール自体も本人が描きたがったのか?という疑いさえ持ってます。
私が時代的にはドンズバで、当時ラジオでそのことについて発言していましたが口では肯定的なことを言っていましたが心中どうだったか?と思う。
毎回、編集社との問題を提起する私からするとドラゴンボールノネタそのものは自分で書きたいと思ったかもしれない。というかそれに掛けた部分もあった。アラレちゃんはブレークしたが84年には終了している。転機になったのは「拳法ブーム」というか「格闘漫画ブーム」だろう。言わずと知れた「北斗の拳」だ。名作だが15巻以降が蛇足でそれ以降は読んでいない。編集社が人気作品のため引き伸ばしというのが見え見えでつまらない内容になることが分かったいたからだ。
バラエティに富む雑誌内こそ多くの人から親しまれるものなのに当時のジャンプはほとんどが格闘漫画になってしまった。そういう流れに自分としては不満だった。シチュエーションこと違えどやっていることは同じ。
そういう流れにドラゴンボールも取り込まれた印象だ。だから読まないし、ジョジョもそういう流れから生まれたので読んでいない。案の定、単行本を集めるにはスペースが足らないような長さになってしまった。
作者はそういう膨大な長さの話に人生をささげてしまい、描きたい漫画を描けずに年を重ねる。しかし、それも終了となると作者自身も喪失感に苛まれる。
「大作」を残したが故に次はそれを超えるのは難しい。いろいろやっては見るものの、なかなか注目を浴びず、巷からは「もう終わった人だよね」という声も聴く。その上、人生を振り返るとその「大作」に生涯をささげたような感覚になり「俺は何をやったのだろう」と思ってしまう。自分で描き始めたものならともかく途中から格闘漫画が流行っているからそういうテイストにしてくれと言われて続いたものは作者としてどうだったか?と思う。
自分が漫画家を目指した端くれだからそういうことが想像できてしまう。
連載できるだけでも有り難いがでもやはり描き始めると自分の本来の作品を残したいと考える。そのジレンマだ。ドラクエなどでイラストレーターとしての名前も不動のものだが話を書く人にとってはそれは半分でしかない。
振り返れば大作の影、前を見ればそれ以上のものが描けない自分。どう思っていたのか?本人にしか分からない。
つまり、編集社はあまりウルサイこと言わずに作者の自由に描かせるというスタンスを守るべきだということだ。見守るというかね。こうした方が良いという提案と説得はしても最終的に決めるのは作者だ。それでうまくいかない場合、作者は執筆権を譲って編集社チームと別の作家に描いてもらうとか。作者は自分が決めた方針で上手く行かないなら仕方が無いと割り切れるだろう。たとえその作品が原作者としか表示されなくなったとしても自分の判断で進めた話だから仕方が無い。
そういう道を用意せず長年漫画家を一つの作品に拘束し、そのチャンスを奪うようなことはしない方が良い。漫画家が割に合わないというのはそういうところにもある。納期もキツイし。無理が効くのは読者の暖かい手紙だったりする。しかし、それで奮起出来ても体はウソをつかない。精神か体そのものにガタが来る。
いろいろ書いたがこれは私見に過ぎない。
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