ちょっと前にイランの1965年の映画、Brick and Mirrorってのを観てきたんだけど、なんかいろいろ考えてた世界と違って、ほぉ、となったわ。
まず第一にさ、アタシのイメージする産油国って中所得国が多くってインフラとかちゃんとお金かけてるんだけど、それって1973年オイルショック後の話であってそれ以前は貧乏だったの?って感じ。サウジアラビアやクエートは勿論、インドネシアとかもド貧乏だったものね、と思いを新たにし。イランも例外にもれず、テヘランの街中、当時の日本と比べたら勿論、戦前の日本より貧しいのかも?という感じもしたわ。まタクシー運転手という労働者階級の主人公の話なのでそうなのかもしれないし、キューポラの街の吉永小百合の家を見て「当時の日本はド貧乏だった」っていうのも違う感じもするのでこれだけでジャッジはできないけど。
その次がアタシの持論、「イランは日本のカウンターファクチュアルだ」ってのが実は違うのでは?ということ。イランってさ1953年のモサデグの改革がクーデターで潰れて農地改革できなくなってしまったので農業の生産性が低く、そのために農村→都市への人口流入が起こらず、都市部での工業化ができていない、という考えだったんだけど、構造的に途上国であって、日本は実は昔から先進国になるべくしてなった国で、全然違うっての。それを思ったのが主人公のタクシー運転手、字が書けないのよね。いや〜、1965年に文盲って凄くない?日本だったら明治維新の時でも識字率かなりあったじゃない?ってか時代劇でも字の書けない人がでてくることもない(ま、フィクションだから)けど、普通に字が書けない人が出てくる。教育と保健への投資があるかないか、国民にどれだけ教育がいきわたってるか、が途上国と先進国の決定的な違いだと思うんだけど、イランはそこがなかった、ってことなのか。20世紀のアルゼンチンが世界で5番目位にお金持ちの国だったけど、ただ交易条件が良くってお金が入っただけで、教育・保険に投資をしてないのでやっぱり「構造的に途上国だった」って議論を見たけど、それと近いものがあるわ。
ちょっと前に観たIranian Versionって映画でも16歳の女の子が医者の嫁に入れられてド田舎に行って、って話があるんだけど、それも舞台設定的に戦後、1970年代の話?って感じだけどド田舎で掘立小屋に住んでて医者も一人もいない、親の意向で10代の少女が結婚させられる、等々やっぱり構造的に先進国と違うのね、って感じがしたわ。
サウジアラビアやクエートのような産油国もお金があるけど「先進国」の仲間いりできないのは根本的な民衆に対する考え方があるのかしらね?
予告編がなくってYouTubeに挙がってるのは映画のワンシーンの切り取りだけで、見つけた中で一番マシなのがこの主人公の男の家でガールフレンドと話してるシーンなのよ。街中の景色が出てこないのが残念だわ
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