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婚姻というとおそらくテレビドラマや少女漫画のような「白馬の王子様」という認識だろうが、そういう認識が間違っている。
夫婦別姓も「男女平等」とか「個の自由」とかそういう考えの延長線にあるはず。だから既存の「男性の家に入る」という考え方の否定がある。それは時代の変化ということであっても良いのだろうが、そう訴えている女性の側にいまいち覚悟がない。
結婚ということ一つ考えても「夫婦別姓」の延長線にある男女平等が女性の側の覚悟のなさで「都合のいい身勝手」の一面を徐行する懸念がある。
一方でこの自立性や平等を言いながら結局、男性の側に高収入や地位を求めている。
「白馬の王子様」と言ったのはそのことだ。
裕福な男性と結婚すれば家事はお手伝いさんにしてもらえて、自分の仕事も制限なく、子育ても他人任せに最大限できるという算段だ。
つまり都合のいい所では男性の稼ぎに依存しつつ、自分も働いているからそんなことはないと言い、結果的に人任せにしているのに、立場は対等だと言っている。
しかし、本来対等な婚姻とは共働きなら家事を分担し、生活の一部始終を協力し合い歩んでいくから長年の夫婦から「相棒」という言葉が出てくる。そういう関係性が望ましい。子育ても共通の関心事で、成長の喜びを実感する。
こういう価値観の共有が続いていくなら夫婦別姓の話など些細なことでしかないのだ。
しかし、不遇なことが起こり男性の方が働けなくなってしまうと離婚を言い出す。ようするに自分の生活環境に悪影響を与える人は要らないというのだ。自分から離婚を言い出したのに男性の資産をアテに慰謝料を要求し、親権も弁護士立てて奪う。
普通なら平等なのだから女性が家を支えることだってケース的には有りうる。
しかし、いざ事がそうなると覚悟が無いから離婚だの親権を寄こせだの言って自分の生活の楽さ加減を維持しようとする。
一方でそういう事態が起こるのであれば夫婦別姓の意味が分からなくなってくる。
そういう様々を見ていると日本は男性優位な社会と言っているがそうでもないことが分かる。結局、どこまで戦うか?だけの話で、どちらも闘志むき出しで戦ったら凄まじい結末が待っている。疲労困憊し、資金を使い果たし、明日をも知れない生活を送る。
婚姻というと二人の世界というような甘い話で片づけられてしまいがちだが、実際は社会的な責任におけるステージの一つという認識を持つべきだろう。
そんな面倒なこと考えるから結婚しない出来ないというのは子供っぽい話で、誰でも子供から大人へのステージを経験しているし、その一つだと考えることはそこまで堅苦しい話ではない。高校進学、大学進学、成人式、就職、それぞれ社会的責任のステージがあって皆それを経験している。そのつど社会的責任のステージを上げてきているのだ。
その延長線に婚姻、子育てがある。それは社会的責任の最終段階とも言えると思う。子供を作らなければ社会的責任を果たしたと言えないのか?という問いには「出来るならすべき」となるだろう。
なぜならどんな困難があっても祖先は連綿と命をつないできた。それは死にそうになったこともあるだろう。そういう危機を何度も経験しながら生き残ってきたのが「あなた」だとすれば「どう生きようが私の、オレの自由だ」と言い切れるだろうか?
あなたにバトンをつないできた過去の人々の思いはそんな軽いことで切ってしまってもいいのだろうか?堅苦しい話ではなく重要なことだ。それは社会的責任の認識とも言える。
これは結婚前の人のステージの話だから論点が違うが言っていることは同じだ。
だから、夫が不遇の身になろうが、子供が不貞を働こうが、女性が一家を支えることに覚悟を持って生きれば夫婦別姓などということは極めてどうでもいい話である。
最終的には「白馬の王子様」を求める女性がいなくなることが男女平等のたどり着く先だと思う。
もちろん男の方も母親に優しくしてもらっていたからそういう女性を求めることも止めるべきだろう。母親もいろいろしてきているのは甘やかすためではないからだ。
そういう点では男女とも覚悟が要る話だが夫婦別姓から深堀すると女性の覚悟の問題を中心に指摘した。
つまりダンナの財布をアテにするな。人で選べという話。
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