「なぜ和風ファンタジーのヒット作品は少ないのか」SNS上で議論が勃発 「日本では作りにくいから」「西洋と違って定番の形式がない」説も
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外国のものはどこか遠い知らない世界の出来事というイメージでとらえている部分がある。日本でそういうのを書こうとすると衣装などの生活文化が時間軸がゴチャゴチャになってもあまり意識しないし、外人が見ても「それもジャパンファンタジー」と見るところもある。
しかし、各国の歴史に精通している人から見ると「こんな組み合わせがあるか、時代がごちゃ混ぜだ。」と突っ込みを入れる人もいる。
和のファンタジーだとそういう歴史的背景を知っているので、戦国時代に古墳時代や神話の時代の衣装で合戦やっているとオカシイと思うように出来にくい部分はあるだろう。
それと和風ファンタジーに気が付いていないこともある。忍者一つ取ってみても白戸三平に代表されるように忍者ものがかなり多く書かれているが、あれも和風ファンタジーの部類に入るだろう。しかし、魔法がないのにファンタジーと言えるかというような視野の狭い人も忍術系は魔法だろう。それでも魔法と呼んでほしければ火遁の術を何たらファイアーと言わせれば済む話で呼び方の違いでしかない。
日本では神話として語られる古事記の中身もファンタジーの世界そのものだ。しかし、天皇家との関係性から業界が遠慮している部分もあるし、極右からの攻撃も心配されるからあまり書かないというのも背景にあるのではないだろうか。
ただ、その内容を見る限りファンタジーそのものであり使えるアイデアはたくさんある。
40年前からゲームの業界がドラクエに代表される「西洋ファンタジー」の流れがずっと続いているからそっちへ行きにくいこともある。
知らない土地の不思議な話に夢中になるのは海外旅行と同じで外人が日本に来て感動するのを日本人はそれほど思わないようにそれは逆のことでも感じる部分があるだろう。海外旅行をしたことがある人は何でも珍しく、見たことがない世界なのでときめくのと同じだ。
鬼滅も和風ファンタジーと言えばそうだが、戦国や江戸を舞台にするならそうかもしれないが、大正時代となると設定の詰めの甘さが目立ってしまいがち。話がそれをカバーしているので目立ちにくいがちゃんと詰めて作ったものとは言えない部分もある。
そういう詰めの甘さがあると興ざめする部分も出てくるからレベルとしては難易度が高いジャンルであることは言えると思う。陰陽師のような話もどちらかというとファンタジーの部類だろうし、それを戦後期時代に持ってい来たとしても設定の詰めをしっかりしておけば耐えられるだろうが、話の筋としての構成を慎重にやらないとなぜその時代に居るのかという整合性が取れなくなる可能性もある。
なので最初の設定と話の詰めが重要になって来る。
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