【プログラム】
1 ラシーヌ:愛ー大管弦楽のための
2 ホリガー:薄明(デンマーリヒト)ーソプラノと大管弦楽のための5つの俳句
3 ヴェレシュ:ベラ・バルトークの思い出に捧げる哀歌
〜〜〜 休憩 〜〜〜
4 バルトーク:弦楽器,打楽器とチェレスタのための音楽
(アンコール)
ホリガー;クリスティアン・モルゲンシュテインの詩による6つの歌より「憂鬱な小鳥」
サラ・ウェゲナー(ソプラノ)
札幌交響楽団(管弦楽)
ハインツ・ホリガー(指揮)
2023年10月7日(日)13:00開演,札幌コンサートホールKitara
札響の10月定期のプログラム4曲のうち3曲が札響初演だった。残りの1曲も含めて全ての演奏曲目が現代作品という稀有な選曲の定期演奏会。右隣に座る定期会員からは,定期演奏会ではこういう選曲は避けるべきだとの声も。プログラムについては色んな意見があって然るべきだと思うが,大事な論点を含んでいると思う。
指揮を担当したのはハインツ・ホリガー。オーボエ奏者として国際的な名声を博す。80年代以降は指揮者や作曲家としても,活動の幅を広げている。2015年以降,指揮者として札響の定期演奏会に登場し,2017年,2019年そして2023年と合計4回このオーケストラを振っている。オーボエ独奏を務めたり,自作を披露したり縦横無尽の活動を繰り広げている。
サラ・ウェゲナーはイギリス系ドイツ人のソプラノ。古典派やロマン派の作品はもとより,シェーンベルク「6つの管弦楽曲」,ペンデレツキ「聖ルカ受難曲」,バーンスタイン「カディシュ」など現代曲においても高く評価されている。今シーズンはアンドリス・ネルソンス指揮のゲヴァントハウス管弦楽団との共演やルツェルンでの演奏会形式による「ワルキューレ」のジークリンデ役デビューなどで注目を集める。
さて,フィリップ・ラシーヌの「愛(Des Amours)−大管弦楽のために」は,チューリッヒ芸術大学の委嘱により2012年から13年にかけて作曲され,2013年10月にこの大学のオーケストラによって初演された。この曲は1.Prélude,2. Désir, 3.Plénitude−Déclin,4.Désamour の4つの楽章で構成され,切れ目なく演奏される。Des Amourがさまざまなバリエーションを経過してDésamourへ行き着くプロセスを表現した音楽とのこと。まず,第1楽章のPréludeで「牧神の午後への前奏曲」の冒頭を彷彿とさせるフルートによる主題が提示され,情熱的な憧憬(Désir),満たされる欲望(Plénitude)から人間の感情の暗い領域(Déclin)へ移り,最後は感情の暗い部分(Désamour)で終わりを迎える。ごく短いコーダで新たな愛へのかすかな望みが提示される。ラシーヌはスイス出身のフルート奏者で,バーゼルとパリで音楽を学び,ジャズやポップスの作曲も手がける。
曲の展開はそれほど複雑ではないが,最先端とは言わないまでも難解な音楽表現を追いかけて行くのは大変である。おそらく,愛という感情を主題に据えて,象徴的なストーリーを音楽で表すことに伴う難しさもあるのだろう。
「薄明」はサントリー国際作曲委嘱シリーズのため2015年にハインツ・ホリガーが作曲した。1991年にホリガーが来日した際,自身がドイツ語で作った5つの俳句に基づくソプラノ独唱を伴う作品である。第1曲はまず海の響きのような管楽器と打楽器のざわめきが示され,次にソプラノ,弦楽器や打楽器が加わり「薄明」があらわれる。第2曲は夜に凍える薔薇が主題。ハープとピアノの響きから「薔薇」を象徴する音が登場し,次にソプラノが徐々に上昇を遂げたあとゆっくりと沈み込んでゆく。第3曲はオーケストラの歪んだ音響が独特。オルガンのような和音で始まり,カラスが墓を掘る陰鬱な光景がかすれた響きで描かれる。第4曲は深く暗い水の風景。途切れ途切れに鳴るオーケストラのなかで,ソプラノは「あの世とは何なのか」という言葉と共に舞い上がってゆく。第5曲はソプラノもオーケストラも強い感情を吐き出す。すべての楽器が細かく動き回り,急停止したあと,ソプラノはヴォカリーズでゆらゆらとただよい,全曲を閉じる。
この曲を聴くのが一番大変だった。最も前衛的な作曲手法を駆使した作品であるだけでなく,曲が表現しようとする内容も「俳句」には似つかわしくない陰惨なイメージに満ちていたからだろう。
「ベラ・バルトークの思い出に捧げる哀歌」を作曲したシャンドール・ヴェレシュは,ハンガリーに生まれ,バルトークとコダーイに師事した作曲家。第二次大戦後,共産主義化した祖国を離れ,スイスに亡命し,後半生を過ごす。ベルン音楽院での教え子の一人がハインツ・ホリガー。曲の前半はティンパニが刻む連打を背景にチェロとヴィオラの細かい動きが重なってゆき,フォルテッシモに達した瞬間に音楽は歩みを止める。後半は葬送行進曲風のリズムが小太鼓に受け継がれ,オーボエの奇妙な旋律をはさんで行進曲のリズムが金管楽器まで波及する。最後はティンパニの連打のうえでフルートが長いソロを奏でたあと,静かに曲を閉じる。
ホリガーの「薄明」に比べると,ベレシュの「哀歌」は随分聴きやすい。とはいえ,深刻で暗い内容を持つ音楽であるせいか,スムーズに受け容れるのは難しい。その難しさはマーラーを聴く抵抗感に似ていなくもない。
休憩をはさんで,定期演奏会の最後はバルトークの「弦楽器,打楽器とチェレスタのための音楽」へ。 「弦チェレ」はこの日のプログラムの中で聴き込んだ唯一の曲目。それも手伝って,前の3曲と比べて随分聴きやすい。そうは言ってもれっきとした現代作品で,「バルトークの創作の頂点」だとか「20世紀音楽史の傑作」といわれる難解な部類に属する音楽であることに変わりはない。実際にホリガーと札響の「弦チェレ」を聴いて意外だったのは,この作品の抒情的側面をクローズアップしたような演奏だった点。ホリガーが振る「弦チェレ」はもっとシャープでドライな演奏なのかと想像していた。なぜあまりバルトークらしくないバルトーク解釈を採用したのか,その理由は不明だが,それほど身構えることなく「弦チェレ」に接することができた。前衛的な要素を抑えた「弦チェレ」の抵抗感は少ないのは事実だが,その分不満も募る。第1楽章のフーガはダイナミズムと精緻な表現が不足しているようだ。第2楽章の病的なユーモアも炸裂する前に萎んでしまった。第3楽章の「夜の音楽」だって深い奥行きを十分表現し得ていないのでは。すざまじいテンポで演奏すべき第4楽章ものんびりし過ぎのようにきこえる。バルトーク特有の過激さと西洋伝統音楽との融合がもたらす精緻なダイナミズムを味わうことができなかったのは残念である。そういう高い目標に果敢にチャレンジする姿勢を感じることが少なすぎた。もちろん,ここまで要求するのは酷な面があることを理解したうえでの話だが。
最後に,札響の10月定期のように会員が知らない曲をプログラムで取り上げることの是非について。この日の聴衆の多くがこのような演奏曲目に当惑し内心不満を覚えたことは想像に難くない。ましてそのオーケストラの常連客の多くが来場する定期演奏会で未知の難しい作品を多く取り上げることは控えるべきだという意見もわからないではない。確かに今回は馴染みのない難解な作品の割合が多過ぎたかもしれないが,未知の作品を取り上げない定期演奏会も問題なのではなかろうか。聴く音楽の幅が広がらないので。定期演奏会はこうした会員が楽しむ音楽の枠を広げる役割もあると考えている。新しい作品に接することで,聴き慣れた音楽の評価が変わったり,新しい地平が拓けたりなどプラスの側面が多い。新しい視界が開けることなしに音楽を楽しみ続けることは不可能だろう。あくまでも個人の意見だが。
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