【収録曲】
1 組曲第1番 BWV.996
2 組曲第2番 BWV.997
3 組曲第3番 BWV.995
4 組曲第4番 BWV.1006a
西垣 正信(ギター)
2023年4月18日,音乃蔵,兵庫県たつの市
Sonorite SNR1013(セッション)
J.S.バッハが残した4曲のリュート組曲のCDを聴いた。演奏は西垣正信のギター。これは彼の2回目のレコーディングで,前回は2004年のフランスで行われた演奏会のライブ録音。今回はセッションで,リュート組曲全曲を2回通しで演奏した録音を元にディスクを制作。演奏者本人の希望のより「全体の繋がりと有機的な感覚を大切にするため」にこの方法を採用した。ギター奏者の意図がよく結実した録音だと思う。
西垣が弾くギターは1830年フランス製の楽器。バッハがリュートのために書いた組曲第1番と第2番ではガット弦のギターを使った。チェロ組曲第5番をリュート用に編曲した第3番と独奏ヴァイオリンのための組曲を翻案した第4番は金属弦を張ったギターで演奏。ちなみに組曲第4番は前奏曲,ルール,ロンド風ガヴォット,メヌエット1と2,ブーレとジークという構成。リュート用に作曲したオリジナルの第1番と第2番をガット弦で演奏し,チェロやヴァイオリンのために書いた組曲の編曲や翻案である第3番と第4番を金属弦で演奏するという着想は曲の特徴を的確にとらえている。元来リュートのために書かれた作品をそのままギターで演奏することは技術的に困難であるため,ギター奏者が原曲に手を入れた版を使用している。
このCDを聴いていると,いつもとは大幅に違うバッハの世界が広がる。その音楽世界を形作るのは柔らかい音。ところが,紛れもなくバッハの音楽がそこで鳴り響いている。
西垣正信が奏でる音はとてもソフトであり,輪郭もシャープとは言いがたい。その分,人間の温かみを感じさせるサウンドでもある。霞か靄が立ち込めるスペースを連想させる音響空間といえる。もちろんギター奏者が作り出した響きが作り出した空間であるが,レコーディングに選んだホールの音響特性の特性も少なからず重要な役割を演じている。レコーディングを行なった「音乃蔵」は,収容人員が100人に満たない木造のとても小さなホール。小規模な古楽や室内楽専用の演奏会場のように見える。いま流行りの古民家カフェのように,古い木造の民家を買い取って演奏会場として改造し利用している建物のようだ。民家なので広大な空間が広がっているわけでもなく,室内の上部には木製の柱が剥き出しになっているので,このディスクで聴ける柔らかい音はこのレコーディング空間の賜物ということもできそうだ。
このリュート組曲全集のCDのもうひとつの特徴は,演奏方法にあると言えそうだ。ひとつ一つの音の鳴らし方に加え,それらの音の繋ぎ方に強い説得力がある。音と音の間隔がとても絶妙である。何か目新しい試みを行なっているわけではない。当たり前で自然な間隔で弾いているだけなのだが,このペースで演奏する以外に適切な演奏の仕方はないと思わせる説得力がある。一音一音の鳴らし方も控え目で,ギターの弦の存在をあまり意識させない演奏といえる。もちろん,ヴァイオリンやチェンバロによるある種の古楽演奏のように,アクセントを強調したり装飾音で飾り立てる演奏でもない。どちらというと,淡々と音楽が進行してゆく類の演奏だ。その点は古楽というより,モダン楽器の奏法に近いかもしれない。おそらく,西垣正信氏は頭で何も考えずに,心の命ずるまま指の動くまま,4曲のリュート組曲を弾いているのだろう。彼の身体で十二分に咀嚼し消化吸収したバッハの音楽を知性の関与を排除しつつ表現しているようだ。自らの肉体の自然な反応を信じ切っているからこそ,いわる演奏のキズを修正する小細工を排除して全曲を通して演奏したテイクをCDに収めることにしたのだろう。このディスクを聴くということは彼のこうした演奏哲学を受け容れる体験を意味している。これがこのCDの特異性の源泉のような気がする。
この全集で最も興味を惹かれたのは組曲第3番の演奏。やはり,無伴奏チェロ組曲第5番の優れた音楽を引き継いでいるから。バッハによるチェロ組曲からリュート組曲への編曲。ギター奏者によるリュート用の作品からギター演奏版へのアレンジ。これら二段階の改定を経ても,オリジナルの優れた音楽は劣化していない。それどころか,ギタリストの無意識が原曲の卓越した音楽を一層際立たせているようさえきこえる。
音楽を演奏することが,いったいどういうことなのか改めて考えさせられた一枚だった。いわゆる「古典」といわれる作品への接し方,そこで感じたものを表現する方法などを根本から振り返る機会を与えるCDといえる。
ログインしてコメントを確認・投稿する