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2023年01月14日16:26

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イゴール・レヴィット:『トリスタン』

Disc1
 1 リスト: 愛の夢 第3番 S541-3
 2 ヘンツェ: 「トリスタン」ピアノ,テープと管弦楽のための前奏曲
Disc2
 3 ワグナー: 楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲,コチシュ編曲
 4 マーラー: 交響曲第10番より「アダージョ」(2),スティーブン編曲
 5 リスト: 超絶技巧練習曲 第11番より「夕べの調べ」変ニ長調 S139-11

イゴール・レヴィット(ピアノ)
ゲヴァントハウス管弦楽団(管弦楽)2
フランツ・ヴェルザー=メスト(指揮)2

2022年9月4~7日,2019年11月26~29日(2)
フィルハーモニー室内楽ホール,ベルリン(1,3-5),ゲヴァントハウス,ライプツィヒ(2)
SONY 19439943482(セッション)


このCDを聴いてみようかと思った理由は3つ。1つは,イゴール・レヴィットというピアニストに興味を持ったから。このアルバムのような選曲をするピアノ奏者はどんな演奏をするのか興味深々だった。2つ目はピアノ独奏版の「トリスタンとイゾルデ」前奏曲をいちど聴いてみたかった。フル・オーケストラで演奏してはじめて,作曲者のメッセージが伝わるような作品をピアノ1台で表現できるのか関心があった。最後はヘンツェの「『トリスタン』ピアノ,テープと管弦楽のための前奏曲」がどんな音楽なのか確かめてみたかった。

このアルバムを何度か聴いてみて,このディスクは二層構造になっているらしいことが分かった。難解なライナー・ノートの表題に「イゴール・レヴィットが弾く愛と死の歌」という文言が含まれている。どうやら愛と死が表裏一体となった情念にまつわる古今の作品を選び,録音したディスクということらしい。一応,このCDに収められたすべての曲目をカバーしうるテーマである。しかし,その表題のもうひとつ深層には,ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」に端を発した現代音楽にフォーカスした層があるようだ。音楽を調性の軛から解き放った「トリスタンとイゾルデ」,ワーグナーから強い影響を受けつつ作曲活動を行ったマーラー,過去の音楽的な遺産を継承しつつ創作活動を繰り広げる前衛作曲家のヘンツェ,そして自由な和声への道を切り拓いたとも言われるリスト。こうした作曲家の作品が選ばれている。

「愛と死をテーマにした音楽」と「解き放たれた調性をベースにした現代音楽」という2つの要素を考慮すると「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲がこのアルバムの核となるような気がする。だが,このディスクの中心はヘンツェの「トリスタン」前奏曲のような気がしてならない。別の言い方をすると,レヴィットがこのアルバムを制作した意図は,ヘンツェの「トリスタン」を録音したかったからなのではないだろうか。演奏時間の点でもヘンツェの「トリスタン」は約50分と一番長く,ヘンツェだけがオーケストラ伴奏付きの作品でそれ以外はすべてピアノ独奏曲だ。何よりも,ヘンツェの「トリスタン」前奏曲の成り立ちを説明するために,リスト,ワーグナーそしてマーラーの作品を取り上げているようにも受け取れる。

繰り返しCD聴いて想像力を働かせれば,これくらいまではなんとか言葉で表現することができる。しかし,とても難解なヘンツェの作品の核心に斬り込むことは半ば諦めるしかなさそうだ。もしかすると,ヘンツェの音楽が難しいという以前に,レヴィットの演奏スタイルが個人的な好みとうまく噛み合わないためにこの作曲家の作品に入り込めないというのが実情なのかもしれない。例えば,2枚目のCDの冒頭にワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲のピアノ独奏版が収録されている。何度聴いてもほとんど興味がわかない。管弦楽版と比べると,ピアノ独奏版は内容が希薄になるのは止むを得ないのだが,このレコーディングでは肝心要な何かが欠けているようにしかきこえない。聴くものにアピールする何かが決定的に欠けているようだ。レヴィットのピアノには心を揺さぶる何かが足りない。あるいは,あえてそのような弾き方を選んでいるといったほうが適切かもしれない。テクニックの上で何か欠陥があるわけではもちろんないが,即物的過ぎて心に波紋を投ずることがほぼないに近い。おそらく相性が良くないのでしょう。同じことはリストの「愛の夢第3番」や「夕べの調べ」を聴いても,彼の音楽が持つ甘美さが感じられない。マーラーの交響曲第10番のアダージョを聴いても,マーラーらしい濃厚なロマンチシズムを感じることはないに等しい。細かいことだが,CD2で「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲とマーラーのアダージョは切れ目なく続けて演奏されることにも,感性の違いを痛感させられる。

ヘンツェの「トリスタン」では,ブラームスの交響曲第1番第1楽章の序奏からの一節が2回ほど引用されている。その箇所を聴くたび痛感するのは,モノトーンの水墨画の一部に原色の油絵が挿入されているような違和感である。水墨画と原色の油絵にはとてつもなく大きなギャップがある。だが,その意味は説明されることがない。あたかも,聴く者を不条理なギャップに晒すことだけを狙っているかのよう。これがヘンツェの前衛音楽なのか。

年末から年始にかけてこのCDを聴いた。その結果,分かったことはレヴィットはどうやらかなり違った感性の持ち主らしい。そして,ワーグナーのピアノ版「トリスタンとイゾルデ」前奏曲も演奏スタイルのせいで面白くなかった。またヘンツェの「トリスタン」も取り付く島もないほど,つかみどころのない音楽だ。新年早々,大きな空振りに終わったようだ。
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