【収録曲】
Disc1
1 アンソニー・チャン:ライブ・イア・エミッション!
2 武満 徹:雨の樹素描II
3 トリスタン・ミュライユ:別れの鐘と微笑み
オリヴィエ・メシアン:幼子イエスに注ぐ20の眼差し
4 第1曲 〜 第10曲
Disc2
5 第11曲〜第20曲
6 ジェルジ・クルターク:オリヴィエ・メシアンに注ぐささやかな眼差し
7 ジョナサン・ハーヴェイ:メシアンのトンボー
ベルトラン・シャマユ(ピアノ)
録音:2021年12月17〜19日,MC2,グルノーブル,フランス
ERATO 9029.619666(セッション)
フランスのピアニスト,シャマユが演奏するメシアンの「幼子イエスに注ぐ20の眼差し」を聴いた。メシアンの代表作が持つ可能性を最大限に引き出した立派な演奏だと思う。信じられないほど美しい演奏であり,オーケストラ作品に匹敵するほどダイナミックな弾き方で,併録された5曲の作品はメシアンの恐るべき可能性を示唆しているようだ。このディスクは,作曲家,メシアンの潜在力をまざまざと見せつけたと表現すべきかもしれない。
シャマユはわずか9歳のとき,「幼子イエスに注ぐ20の眼差し」を聴いて衝撃を受け,ピアニストになろうと決意したという。「ピアノのために書かれたこの無限の概念領域作品と考え,それからずっと私自身の演奏方法,サウンド,芸術性の認識を部分的に形作ったと言っても過言ではありません。この作品は,複雑さと証拠のほぼ完璧なバランス。生物と同様に,ここのすべては非常に精巧です。すべてのコード,すべてのリズム,作曲の波打つ流れ,絶え間ない噴出の豊かさ,複雑で洗練された心・・・等。しかし,本当に輝いているのは,証拠の勝利,特定の真実を見ているという感覚です。その結果,恵と力のクライマックスが生まれ,その力がその道のすべてを荒廃させているように見えます」と,彼は語っている。理解するのが難しい箇所もあるが,このディスクの演奏はシャマユの発言どおりだと感じる。
シャマユの演奏はフォルテッシモもピアニッシモもとても美しい。弱音をきれいに弾くピアニストは少なくないが,強音を本当にきれいに弾くピアノ奏者はそれほど多くない。強く弾いても音が割れたり濁ったりすることはない。CDを聴いていても,信じられないほど高度なテクニックを駆使していることがわかる。柔らかい音も硬い音も透明で光り輝いているようにきこえる。フランス人がメシアンを弾くとき,どのようなサウンドをイメージするのかの典型と言っていいだろう。このピアノの響きを楽しむだけでも2枚組のアルバムに集中する価値はある。
さらに,美しいだけでなくシャマユの演奏はスケールが大きい。単に大きな音で演奏するというだけでなく,作品の持つダイナミズムを過不足なく表現しているのである。しばしピアノのきれいな音に耳を傾けていると,メシアンのオーケストラ作品,例えばトゥーランガリラ交響曲を聴いているような錯覚を起こしてしまう。音量とは別次元の音楽作品が持つ規模の巨大さをシャマユは表現し得ているのだろう。フランス人のピアニストがフランスの作曲家の作品を演奏するときの特権をフルに生かしているようにも感じる。フランスの演奏家でなければ,これほど容易くメシアンの音楽の核心に迫ることは難しいのではないかとさえ考えてしまう。
このアルバムでは,「幼子イエスに注ぐ20の眼差し」を10曲ずつ二つに分けて,前半をDisc1に,後半はDisc2に収録。そしてメシアンに触発された東西の作曲家の作品をディスクの余白に収める。一枚目のCDではメシアンの作品の前に,アンソニー・チャンの”Live Ear Mission!(2001)”(「ライブ・イア・エミッション!,オリヴィエ・メシアンを讃えて」),武満徹の”Rain Tree Sketch ��(1992)”(「雨の樹素描�� オリビエ・メシアンの追憶に」)とトリスタン・ミュライユの”Cloches d’adieu, et un sourire•••(1992)”(「別れの鐘と微笑み オリビエ・メシアンの追憶に」)が配置され,2枚目では「20の眼差し」の後にジェルジ・クルタークの”•••humble regard sur Olivier Messiaen•••(1993)”(「•••オリヴィエ・メシアンに注ぐささやかな眼差し•••」)とジョナサン・ハーヴェイ”Tombeau du Messian for piano and digital audio tape (1994)”(「メシアンのトンボー」)が続く。
チャンはサンフランシスコ生まれの作曲家でアンサンブル・コンタンポランほか多くのオケから委嘱を受け作品を書いている。「オリヴィエ・メシアンを讃えて」は19歳のときに書いた音楽。音響スペクトルの観点からメシアンを受け容れていることをうかがわせるとのこと。音響の房どうし動と静を交代させる時間の流れにのせて,共鳴させる。
武満徹の「雨の樹素描II」は,作家,大江健三郎の「雨の木」に触発されて書かれた。この作品はメシアンの訃報に接した武満が,宇宙のシステムの暗喩としての大江の雨の木のイメージに導かれて,同じ思考法を実践した音楽として理解されるそうだ。
ミュライユの「別れの鐘と微笑み」もメシアンの死を受けて書かれた音楽。彼への追悼曲集のために作曲された作品で,いつも微笑んでいたモーツァルトに思いを馳せつつ,苦悩や涙を微笑みに変えるべく,美しい鐘の響でメシアンを追悼しているとのこと。
ハンガリーの作曲家,クルターグの「•••オリヴィエ・メシアンに注ぐささやかな眼差し•••」は,「遊び」と題された曲集の第6曲。 演奏時間1分ほどの短い作品で,メシアンの「幼子イエスに注ぐ20の眼差し」の中の「沈黙の眼差し」に通ずる瞑想的な雰囲気を持つ。
イギリスの作曲家ハザウェイは,器楽と電子音楽の相互作用をてこにして表現の拡張を図る「混合音楽」の発展に寄与した。「メシアンのトンボー」は,倍音列に沿って調律されたピアノの電子音響と普通に調律されたピアノの音響を,相互に干渉させる仕組みを使って,メシアンへの追悼とした作品。
錚々たる現代作曲家にインスピレーションを与える音楽を残したメシアンは音楽の巨人と言って差し支えないだろう。そして,難曲「幼子イエスに注ぐ20の眼差し」と5曲の現代作品を2枚のCDにある種の調和と共に収める離れ業を成し遂げたシャマユの音楽的な力量もメシアンのそれに匹敵するのかも知れない。
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