【収録曲】
ベートーヴェン
1 ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 Op.58
2 ピアノ協奏曲 第6番 ニ長調 Op.61a
ジャンルカ・カシオーリ(ピアノ)
アンサンブル・レゾナンツ(管弦楽)
リッカルド・ミナージ(指揮)
録音:2019年11月,Gesamtschule Bremen-Ost,Breme
Harmonia Mundi: HMM902422(セッション)
昨年の12月にリリースされたジャンルカ・カシオーリの新譜を聴いた。収録されているのはベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番と第6番。後者はヴァイオリン協奏曲(Op.61)のピアノ編曲版(Op.61a)で,ベートーヴェン自身が編曲したバージョンである。
演奏はジャンルカ・カシオーリのピアノ独奏,伴奏はリッカルド・ミナージが指揮するアンサンブル・レゾナンツ。ミナージはアンサンブル・レゾナンツのアーティスト・イン・レジデンツ。アンサンブル・レゾナンツはブレーメンを拠点に活動する室内オーケストラ。
ジャンルカ・カシオーリは1979年,トリノ生まれの音楽家。ミラノ音楽院で作曲と電子音楽を専攻し,イモラ音楽院でピアノを学ぶ。15歳で,ルチアーノ・ベリオ,エリオット・カーター,マウリツィオ・ポリーニ,チャールズ・ローゼンなどが審査員を務めるウンベルト・ミケーリ国際ピアノコンクールで優勝する。その後,ベルリン・フィルをはじめとする世界の名だたるオーケストラや指揮者と共演するかたわら,ソロや室内楽でも活躍する。また,指揮者や作曲家としても意欲的な活動を繰り広げる。
1978年生まれのリッカルド・ミナージは,サヴァール率いるコンセール・デ・ナシオン,コンチェルト・イタリアーノ,アッカデミア・ヴィザンティナをはじめ数多くのピリオド器楽アンサンブルでヴァイオリン奏者として活躍。2017年よりハンブルクのアンサンブル・レゾナンツのアーティスト・イン・レジデンツを務める。
アンサンブル・レゾナンツはメンバーが40人程度の室内オーケストラ。コンサートのプログラムは,古典派などの音楽と現代作品との関係を探るものが多いという。使用楽器はモダン楽器を基本とし,アーノンクールのアンサンブルと同じく一部管楽器とティンパニではピリオード楽器を併用する。イザベル・ファウスト,タベア・ツィマーマンそれにジャン=ギアン・ケラスなどと共演することが多い。
このディスクのセールス・ポイントは,現代作曲家の眼で校訂したピアノ協奏曲第4番とヴィルトゥオーゾ・ピアニストが弾くピアノ版ヴァイオリン協奏曲ということになるだろう。ベートーヴェンが残したいくつかの第4番の異稿をカシオーリ自身が時間をかけて校訂し,磨きをかけたスコアを完成させた。そのバージョンを使って,1990年代の終わりから2000年代の初めにかけてBBC交響楽団とロイヤル・アルバート・ホールでコンサートを行う。その後,進展した研究の成果も踏まえ,また,オリジナル資料を再度検討するなどして,より変化に富むヴィルトゥオーゾ的なピアノ・パートの第4番を完成させた。このスコアには現役作曲家の眼が生きているはず。
ピアノ用に編曲されたヴァイオリン協奏曲をヴィルトゥオーゾ・ピアニストがどのように捌くのかも見ものだ。ベートーヴェン自身が編曲をおこなったピアノ版ヴァイオリン協奏曲は,ヴァイオリン協奏曲のオリジナルには欠けている独奏カデンツァが含まれている。ヴァイオリニストが独奏するときも,ピアノ版のカデンツァを使うことが多いとも。ヴァイオリン・バージョンより情報量が多いとも言えるスコアから何を読み取り,それをいかに表現するのかに注目が集まる。
このCDを聴いた率直な感想は,実に豊かな音楽性にあふれた演奏であるということだ。musizieren,つまり遊びに満ちた音楽が躍動している。イタリアのピアニストらしく旋律を重視した演奏であり,古楽と現代音楽の技法でメロディー・ラインに彫琢を加え,遊び心あふれるmusizierenを達成している。
旋律を強調した演奏だと言っても,メロディー・ラインはどちらかと言うと骨太である。旋律と同時に,それが内包する和声もおおらかに鳴らしている。メロディーとハーモニーの流れがスムーズで実にナチュラルに響いている。音色は明るく,人間的な温もりにあふれている。イタリア出身のピアニストがリードするベートーヴェンと言える。オペラの世界を引き合いに出せば,ヴェルディよりもワーグナーに近い。もちろん,温かい血の通った世界であるけれど。
ピアニストも指揮者もオーケストラも,古楽や現代音楽のツールを使って骨太のメロディー・ラインに加工を施す。まず,音楽の流れに応じて,わずかながらテンポを変える。それと同時にテンポを落とした箇所では音量も落とし,テンポを上げたら音量も上げる。こうした変化は古楽奏法のテクニクスのようにもきこえる。そしてこの変化を自然に響かせるために現代音楽の技法を応用しているように聞こえなくもない。
こうした,ある種の操作を統括するのはmusizirenの精神だ。音楽は心地良くなければいけない。美しくなければいけない。そして,何より楽しくなければいけない。演奏する側も耳を傾ける側も心が自然と踊るような音楽を届ける必要がある。この究極の目標を達成するために,メロディーやハーモニー,テンポやダイナミクスを動員する。ピアニストが音楽院で勉強した作曲も,指揮者が長年親しんだ古楽も,オーケストラが取り組んでいいる古典派と現代音楽も,このゴールを目指して総動員されていると断言していいだろう。
ピアノ協奏曲第4番とピアノ版ヴァイオリン協奏曲の演奏に触れない訳には行かないだろう。第4番は静謐なオーケストラ伴奏が作る空間で,饒舌なピアノが細部を造形してゆく。第1楽章はこのピアノ・コンチェルトへのやや混沌とした導入部で,第2楽章はフィナーレで開花する音楽を準備,第3楽章は音楽的な歓びの爆発的な開花というナラティブに沿っているようだ。オーケストラもピアノ・ソロも楽譜の研究から大きなインスピレーションを受けて,それが演奏として結実している。
ピアノ版ヴァイオリン協奏曲は,ベートーヴェンのスコアを忠実に演奏したという要素が強い。その際,ピアノ協奏曲として自然にきこえることに留意した演奏だ。別の言い方をすれば,第4番とのバランスを配慮したと言える。ベートーヴェンがピアノ版のスコア(Op.61a)で表現しようとした音楽の核心は,ヴァイオリン協奏曲(Op.61)と必ずしも一致しないとでも言いたげ。
久々に立派な演奏を聴くことができて心底満足している。その最大の要因はカシーオリの豊かな音楽的才能だろう。彼の録音は聴いたことがあるが,彼の才能にこれほど圧倒されたのは初めてだ。ただのヴィルトゥオーゾにとどまらず,超一流の音楽家であることを確信させるディスクである。指揮者やオーケストラをも巻き込んでしまうオーラにも恵まれているようだ。
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